ここふた月ほどのあいだに各媒体に掲載された、小社刊行書籍の書評記事などをまとめてご紹介します。本ウェブログは「速報と雑報」と謳っておりますが、速報も雑報もいまは
twitterのほうでお送りするようになってしまい、こちらのウェブログがなおざりになりつつありまして……すみません。twitterのログをまとめた
twilogも用意しておりますので、twitterに登録していない方はこちらをどうぞ。以下の書評記事情報もtwitterで書いたものの再編集です……。
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ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』(鵜飼哲・梅木達郎訳、2010年6月刊、詳細は
こちら)
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『週刊朝日』2010年8月13号(最新号)、「話題の新刊」欄。
笠間直穂子さんによる短評。
《ジュネはまさに、歩み通す。惨殺された死体が重なり、腐臭が立ちこめ、生き残った人々が沈黙する通りへと読者を連れていく。悲痛ながら、死への不思議な親しさも湧きあがる逆説は胸を打つ。本作発表後のインタビュー、詳細な解説のほか充実した資料を添え、今日まで続くパレスチナ問題と、その深淵に身を委ねたジュネの思考に迫る一冊。》
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『インパクション』175号(最新号、特集「終わらない植民地支配・国境を超える抵抗:沖縄・パレスチナ・グアム・アイヌ」)。特集内の「パレスチナを読む」というコーナー。評者は
田浪亜央江さん。「パレスチナ/イスラエルをめぐる文化闘争の武器として」。
《『恋する虜』と並んで、パレスチナとジュネの関わりを知るためだけでなく、パレスチナに関心をもつ人間すべての必読書となって欲しい。》《現在のフランスにおけるジュネのテキストの読解が、反イスラーム的状況のなかで深刻な文化闘争をなしていることを本書で知ったのは、予期しなかった収穫である。人種差別、植民地主義との終わりのない闘争のなかに立たされていることを自覚するとき、暴力的な読解に遭っても決して破壊されることのない強靱なテキスト=武器としての「シャティーラの四時間」が私たちの側にあることを確認できるのは、大いなる喜びだ。》
*「現在のフランスにおけるジュネのテキストの読解」については、『シャティーラの四時間』収録の鵜飼哲さんによる書き下ろし論考「生きているテクスト——表現・論争・出来事」で詳説されております。ご参看のほどを。
*なお、この田浪さんのレビューでも言及されている、映画『戦場でワルツを』(アリ・フォルマン監督、2008年、イスラエル)は、今週金曜日(8月6日)まで
早稲田松竹にて上映中です。『戦場でワルツを』をご覧になったかたは、ぜひジュネの『シャティーラの四時間』のほうも読んでいただきたく。「関連書籍」として劇場でも販売中です。
*『インパクション』最新号にかんしては、早尾貴紀さんの
新設ブログの記事をご参照。 あわせて、UTCPブログでの、早尾貴紀さんによるシュロモー・サンド(『ユダヤ人の起源』著者)
講演報告もご参照。
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『図書新聞』2010年7月24日号(975号)、
「2010年上半期読書アンケート」。
鈴木創士さんの回答。
《……本書は、パレスチナを通して晩年のジュネを、ジュネを通してパレスチナ問題の真実を浮かび上がらせる。》
*ちなみに鈴木さんが選ばれた他の2冊は、ラウリー『火山の下』と『マラルメ全集』。後者については、《値段のほうもいささか高踏的にすぎるのではないか。廉価版のマラルメを!》 また、鈴木創士さんによる『シャティーラの四時間』書評記事が『週刊読書人』に掲載予定の由。
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『週刊文春』2010年7月15日号、「文春図書館」の「新刊推薦文」(無署名)
《……事件告発のルポであると同時に、死の臭気漂うシャティーラの風景を美しい文体で綴った伝説的な作品が初の単行本化。》
*本書の書評(というか紹介記事ですが)を初めて印刷媒体で載せてくれたのは、『週刊文春』!
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宮崎裕助さんのツイッターから(2010年7月11日:
@parages)
《出てすぐに献本していただいた『シャティーラの四時間』をようやく繙く。「シャティーラの四時間」は本書の訳者一人の梅木さんがいつも絶賛していたもので、私が初めて読んだジュネのテクストだ。読むと動揺することがわかっていたので、しばらく放置していた。久しぶりに読んでみると、虐殺の光景の只中で抵抗する民衆の「美しさ」に対して、ジュネのテクストが湛える無条件の肯定の身ぶりに、あらためて強く心を打たれた。とにかく引用するしかない。「一つの共同体を特権的に選び取ること、この民族への帰属如何は生まれで決まるものなのに、にもかかわらず誕生以外の仕方で選び取ること、このような選択は、推論によるのではない同意の祝福の賜物だ。そこに正義の働く余地がないのではなく、この正義を実現し、この共同体を徹頭徹尾擁護せしめるものこそ、感情的、おそらくは感覚的、官能的といってもいいような魅力の、召命の力なのだ。私はフランス人だ。けれども全面的に、判断抜きにパレスチナ人を擁護する。道理は彼らの側にある、私が愛しているのだから。だが不正のためにこの人々が浮浪の民にならなかったとしたら、この人々を私は愛していただろうか。」「死者たちの孤独、シャティーラ・キャンプではこの孤独が、死者たちの身ぶりや格好が彼ら自身した覚えのないものだっただけに、いっそう生々しく感じられた。死に様も選べなかった死者たち。遺棄された死者たち。だが、このキャンプの私たちのまわりには、ありとあらゆるいとしさ、優しさ、愛情が、もうそれに応えぬパレスチナ人を求めて漂っていた。」本書は、長らく入手困難になっていた「シャティーラの四時間」の改訳を収めているだけでなく、いまとなっては伝説の『GS』「ジュネ・スペシャル」に収められたジュネのインタヴュー、訳者鵜飼氏の熱のこもったジュネ論二篇(うち一篇は書き下ろし)も読める。加えて、パレスチナ国民憲章の翻訳(訳者は私の古くからの友人である早尾貴紀氏だ)ほか、詳しい地図や年表など、細部まで配慮のゆき届いた、きわめて充実したつくりになっている。ジュネのこんな本が読めるとは、まったく大げさでなく日本語の読者として本当に幸福だと思う。》
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高橋源一郎さんのツイッターから(2010年7月2日:
@takagengen)
《(……)ジャン・ジュネの『シャティーラの4時間』を読んでいました。1982年9月、ベイルートのパレスチナ難民キャンプでの虐殺についてのドキュメントです。たまたまベイルート滞在中だったジュネは虐殺直後、キャンプに入り4時間滞在します。『シャティーラの四時間』は後の大著『恋する虜』の先駆けといっていいものです。ジュネは転がっている遺体を一つ一つていねいに「観察」します。それこそが文学の仕事である、といった確信を抱いてです。その合間に挿入される考察の美しさにうたれます。「自由を重視したか美徳——つまりは労働——を重視したかで革命を色分けしたのはハンナ・アレントだったと思う。おそらく認めねばならないのは、革命あるいは解放というものの——漠たる——目的は、美の発見、もしくは再発見にあるということだ。美、即ち、この語によるほかは触れることも名づけることもできないもの。」「ベイルートからの帰途、ダマスの空港で、イスラエルの地獄を逃れてきた若いフェダイーン[戦士]に私は出会った。年は十六、七だった。皆笑っていた。アジュルーンにいたフェダイーンにそっくりだった。彼らのように、この少年たちも死ぬのだろう。国を求める闘いは満たすことができる、実に豊かな、だが短い人生を。思い出そう、これは『イーリアス』でアキレウスがする選択なのだ。」》
★ブログ
「早尾貴紀:本のことなど」(2010年6月28日:
http://hayao.at.webry.info/201006/article_9.html)
《ジャ ン・ジュネの伝説的な名ルポルタージュ、単行本となって刊行!》《「私生児」で「根無し草」のジュネは、難民かつ戦士であるパレスチナ人に長く寄り添って い、晩年に『恋する虜』(人文書院)を書き上げてこの世を去った。その原点とも言えるのが、「シャティーラ」だ。》
*早尾貴紀さんのブログから。早尾さんには、『シャティーラの四時間』所収の「パレスチナ国民憲章」(1968年改訂版)全訳を手掛けていただきました。
UTCP、
パレスチナ情報センターのウェブサイトでも早尾さんによる本書紹介が掲載。なお、「パレスチナ国民憲章」あるいはPLOとジャン・ジュネとの関わりについては、上掲の鵜飼哲さんの論考「生きているテクスト——表現・論争・出来事」をご参観ください。
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▼管啓次郎『斜線の旅』(2009年12月刊、詳細は
こちら)
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『週刊金曜日』2010年3月5日号(789号)「きんようぶんか読書」欄。
陣野俊史さんによる書評。
《本を読み、さまざまな時空を経巡る旅。同時代の、世界を踏破するかのような、空間の旅。どの旅も管さん独特の筆で書きとめられたものであり、その見事な冴えに感心するばかりなのだが、この新著はことのほか、世界が斬新な形で切り取られているように思った。》《押しつけがましいもの、教条的なもの、権力的なもの。そうした匂いがしない。この旅人は自分が植物(自然)に生かされていることを知っていて、そのことをごく自然な形で発露している。》
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『週刊読書人』2010年7月23日号(848号)、アンケー
ト「2010年上半期の収穫から」。
沼野充義さんの回答。
《読みながら、快い旅の感覚に浸ることができた。著者は、言語や国境を自由に超えながら、旅をするように本を読み、本を読むように旅をする健脚の旅人=詩人である。彼の旅はいわば偶然の賜物であって「誰ともわからない誰かに」その返礼として書かれたのが本書だという。気持ちのよさはそこから来ている。》
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『フィガロジャポン』2010年8月号。フィガロ図書館特別企画「この夏読み耽る本、87冊」。
大竹昭子さんの短評。
《ここに書かれた旅のどれもが「島」というキーワードを隠しもっている。(…)旅と旅の間をつなぐ糊代に目を留め、立体感と奥行きのある旅を探求するためのスリリングで知的な指南書。》
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『週刊読書人』2010年7月10日号(2846号)。
今福龍太さんによる書評。
*タイトルは「「何も望まない旅」の平穏——土星の徴のもとで旅する著者が風景のなかに見つける、裸の人間の条件」。……短い引用に向いた箇所を探してみましたが、無理。こればかりは全文をお読みいただきたい。著者の「気質」(土星!)にずばり踏み込む、かなり鋭利な書評だと思います。
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笹岡啓子写真集『PARK CITY』(2009年12月刊、詳細は
こちら)
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『CAMERA AUSTRIA』110号(最新号)、書籍紹介ページ。
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http://www.pg-web.net/news/?p=825をご参看。「『CAMERA AUSTRIA』(季刊)はオーストリア/グラーツで発行されている写真雑誌ですが、日本ではpg-shopにて毎号お求めいただけます。」
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『グラミネ』11号(最終号、早稲田大学第二文学部表現・芸術系専修機関誌、2010年3月)、アンケートコーナー「考え始めるための読書案内」への
橋本一径さんの回答。
《まずはこちらが何も語れなくなるほどの圧倒的な迫力を内に秘めた写真そのものと向き合い(増山、笹岡、カーン)、あるいは写真家自身の言葉(キャパ、中平)に耳を傾けるところから始めてみてはどうだろうか。》
*増山とは『増山たづ子 徳山村写真全記録』(影書房)、カーンとは『アルベール・カーンコレクション よみがえる100年前の世界』(NHK 出版)。キャパは『ちょっとピンボケ』(文春文庫)、中平は『なぜ、植物図鑑か』(ちくま学芸文庫)。この並びに『PARK CITY』! ここに載っている橋本一径さんの略歴に「表象文化論。指紋の歴史専門。」とあるのがなんだか可笑しい。くだんの『グラミネ』のアンケートには、武田潔さん、宮沢章夫さん、四方幸子さん、小沼純一さん、貝澤哉さんらも回答されています。本誌の入手方法は知りません。早稲田大学のどこかの棟のどこかのフロアに積んでありました。
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柄谷行人『近代文学の終り』(2005年11月刊、現在3刷。詳細は
こちら)
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「KINOKUNIYA書評空間」。
阿部公彦さん(2010年6月14日:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/abe/archives/2010/06/post_65.html)
《堂々と手の内を明かし、大きな話をしようといういかにも柄谷らしいスタンスは健在である。》《語り口の明晰さはいつもながらのことだが、何より自らの議論を“要約”することを厭わない姿勢が印象的である。》
*『文學界』2010年8月号の阿部さんの連載評論で柄谷さんが取り上げられていました。論及されているのはおもに『探求I』。
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以上です。だいぶ長いエントリーになってしまいました……。