2010年4月14日水曜日

『写真年鑑2010』『写真年鑑2009』書評記事など


冒頭に「写真は森羅万象を記録し表現するが、本書はその写真を記録し表現するものである。その期間は2009年1月1日から12月31日とする。」と掲げられた、『写真年鑑2010』(発行:スタジオレイ/発売:日本カメラ社)に、小社から刊行した写真集関連の記事がいくつか掲載されていましたので、抜き書きご紹介。以下、敬称略。

▼「インタビュー特集「2009」」

港千尋(インタビュー・構成:高橋義隆):「女優エマニュエル・リヴァの『HIROSHIMA 1958』の写真を見出す」
《この一連の仕事を振り返ってどのように総括していますか?──「強烈な体験でした。言葉を変えて言うと、人類学的体験といいますか写真の不思議さがまたひとつ増えたというか、わからなくなったというのが正直なところです。(…)」》

▼「写真集・書籍2009/書評」

飯沢耕太郎(写真評論家):『小島一郎写真集成』
《(…)やや悲劇的な色合いに染め上げられた後半生だが、「津軽」「凍ばれる」など、ロマンティシズムとリアリズムが結合した独特のコントラストの強い作品群は、死後もずっと高い評価を受け続けてきた。本書はその小島のほぼ全作品を一冊におさめたもので、同美術館の学芸員の高橋しげみによる力のこもった論考「北を撮る──小島一郎論」とともに、今後の研究の基礎資料となっていくだろう。》
(引用者付記:「小島のほぼ全作品」とありますが、収録を見送ったものもむろん多数あります。展覧会出展作品の「ほぼ全作品」ではありますが。また、「死後もずっと高い評価」というのも見方が分かれるところかもしれません。)

前田恭二(読売新聞記者):『PARK CITY』笹岡啓子写真集
《タイトルの「公園」は広島平和記念公園のこと。つまり記憶のための空間を中心に抱えた都市として、広島を撮ることを意味している。そのことはただちに、ヒロシマの写真史を引き受けることをも意味しよう。山端庸介をはじめ、記憶という命題は写真とともにあった。本書所収のテキストで倉石信乃が指摘する通り、ヒロシマは写真都市なのである。加えて近年、奇妙な転倒が兆していたことも見落とせない。長きにわたる戦後を経る中で、写真作品のために記憶を探し求めるふるまいがまま見られなかったか? 本写真集はそのような写真史に対峙する位置にある。むろん、記憶のための空間のただ中に分け入り、なおかつ命題を対象化し得る距離を保持することは容易ではなかっただろう。広島への再訪を重ねながら、笹岡啓子は双方を適宜、個々のカットに振り分けるのではなく、一つひとつの写真において、針の穴を通すような繊細さで両立している。力業と呼ぶべきだろう。》

▼「アンケート:評者12人の「2009写真ベスト3」」

金子隆一(写真史家/写真評論家):『小島一郎写真集成』
《(…)これ自体が展覧会を離れて小島一郎という稀有な写真家の世界を、展覧会を見られなかった人も十分に理解することができる内容を持つものであると確信できる1冊である。》

小林美香(写真研究者):『小島一郎写真集成』
《(…)作品集、資料としても非常に高い価値のある一冊。凍てつく高い空の豊かな階調や、ビル・ブラントの作品との類縁性をも感じさせる独特のプリント技術、点数は僅かながらも挿入されているカラー写真の独特な色合いに眼を奪われる。》

竹内万里子(批評家):『PARK CITY』笹岡啓子写真集
《広島生まれの写真家が、広島をめぐる時間的・表象的な距離を果敢に凝視しつづけた力作。》



ついでに、昨年刊行の『写真年鑑2009』の記事もご紹介しておきます。

▼「写真集・書籍2008/書評」

大日方欣一(写真史研究者):『HIROSHIMA 1958』エマニュエル・リヴァ写真集
《(…)リヴァのカメラ・アイが綴った一群の魅力的な光景がここに半世紀の時を超え初めて公開された。川沿いに暮らす人々の場所をたどり、そこで遭遇した大人や子どもたちと眼差しの通信をかわしあう。くつろぎと好奇心、幾ばくかの諦念が入り混じるかのようだ。》

▼「アンケート:10氏による「2008写真ベスト3」」

島原学(写真研究者):『小島一郎写真集成』
《(…)写真集としてみても、見事な仕事というしかない。青森県立美術館の高橋しげみさんは、戦後という時代のなかで小島一郎の抱えた葛藤とジレンマ、そのなかで一枚一枚取り進めた歩みを詳細にフォローし、死者とじっくり対話されている。その結果、時代と写真と写真家がみごとに立ちあらわれている。行き届いた仕事だと思う。》
(引用者付記:『小島一郎写真集成』は2009年1月10日発行ですが、2008年の作物とご記憶の方が多いようでして。)