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(「現存するフィルム」って3本ですが…)
(「現存するフィルム」って3本ですが…)
インスクリプト通信 速報と雑報

三輪健仁「不純なる媒体──1970年前後の映像について」
ロザリンド・クラウス「ヴィデオ──ナルシシズムの美学」(石岡良治訳)
ベンジャミン・H・D・ブクロー「リチャード・セラの作品におけるプロセス彫刻とフィルムについて」(三輪健仁訳)
リズ・コッツ「ヴィデオ・プロジェクション──スクリーンの間の空間」(木下哲夫訳)
3月28日(土)、第21回「写真の会」賞選考会が行われ、『北海道』(作者:森山大道・発行:ラットホール)、『小島一郎写真集成』(作者:小島一郎・発行:インスクリプト)に対して受賞となりました。
選考会に参加した会員は以下の通りです。
浅野文宏、生井英考、伊勢功治、大竹左紀斗、白仁田剛、鈴木一誌、深川雅文、光田由里、永田典子(記録係)、高橋義隆(選考権ありのボランティア)
第21回「写真の会」賞受賞作品
◎『北海道』
作者:森山大道
発行:ラットホール
発行年月日:2008年12月
◎『小島一郎写真集成』
作者:小島一郎
発行:インスクリプト
発行年月日:2009年1月10日
簡潔な“南”というタイトル同様、その内容や文体にしても大仕掛けな展開や修辞を自ら禁じるかのようなタッチで一気に書き継がれる。(…)ほぼ四半世紀も前に鮮烈な印象を受けた映画のいわば原作に当たる小説を今ようやく僕らは手にしたわけだが、昨今の書店に映画の宣伝も兼ねて所狭しと並ぶ“原作本”の山から受ける押しつけがましさをよそに、この小さな本の不意の登場は清々しいまでに慎ましい。
(…)広島に着いてから、映画の撮影がはじまるまでの約1週間のうちに撮影されたという写真は、しなやかなまなざしを感じさせるもので、半世紀前の映像であるにもかかわらず、とても新鮮です。歴史、文化、社会、映像、映画、写真など、さまざまな観点から見ることのできる興味深い写真集です。
本物の写真家は自律的な創造のなかへ自己の存在を解き放つのではなく、自分のレンズの前にある現実の生活の諸現象の実質のなかへ放射するために自己存在を呼びだすのである。それゆえ現実の生活現象は手を触れられないままであり、また透明に見透せるものとなる。もし写真が芸術であるとすれば、それは一風変わった芸術である。つまり伝統的な諸芸術と違って、それは生[なま]の素材を完全に消滅させないことを誇りとしているのだ。
世界をむさぼりつくすカメラのレンズは死への恐怖の徴候である。写真に写真を積み重ねてゆくことで死の想いを追放してしまおうというのだ。ところが死は記憶のあらゆるイメージのなかに常に深くしみとおっている。


(…)本書の出版に際して広島で催された展覧会では、かつて被写体となった人が幾人も、「これは私です」と名乗り出たという。そこに写っているのは今の自分の姿ではない、にもかかわらず、それもまた間違いなく自分自身だと認めること……そのように長い年月を介して現前する“他者としての自分”を受け入れることこそは、あの映画[=『ヒロシマ・モナムール』]の中でヒロインがなさねばならなかった振舞いにほかならない。(…)ひとりホテルに戻った彼女は、洗面台の鏡に向かい、「私」と「彼女」の二つの人称代名詞が交錯する独白を通して、現在と過去の自分を直視し、苦悶しつつも遂に両者をともに受け入れるのである。そして、その身振りは映画の内にとどまらず、主演女優自身が、久しい時の流れを経て、しかも今度は多くの人々の共感に導かれつつ、現実のものとして体験するところとなった。(…)




十九世紀初頭に発表されたドイツの哲学者フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」と、同世紀末発表のフランスの思想家ルナンの「国民とは何か」が収録される。西洋近代の国民国家の基盤を明示した二つの講演を再読しながら、鵜飼哲やJ・ロマンらが解説を書く。ナショナリズムと多文化主義という対極的な思想を象徴する講演に、近代国家の特質と限界を読み解き、問い直した本。世界の二極構造が崩れ、国家・民族・宗教などが激しく議論された時期の良質なテキストだ。一九九七年刊、現在六刷。






山端庸介は偶然世界を記録した。だがぼくたちの戦後の写真家はそれを意識化し、方法化することから出発しなければならないだろう。なぜなら〈記録〉はまず第一に方法であり、精神のあり方であるからだ。そしてまた〈記録〉の精神はその冷ややかさにおいてどこか一点〈抵抗〉の精神につながるはずである。
(中平卓馬「写真にとって表現とは何か」、『見続ける涯に火が…』、オシリス、2007年、33頁。初出=1968年7月)
*『北海道開拓写真史──記録の原点(ニコンサロンブックス6)』、ニッコールクラブ、1980年。非売品。
*『北海道写真史 幕末・明治』渋谷四郎編著、平凡社、1983年。品切。
*『田本研造と明治の写真家たち(日本の写真家2)』、岩波書店、1999年。品切。
アルバム「田本写真帳」を所蔵する同市[=函館市]中央図書館は先月、ホームページでデジタル画像の公開を始めた(http://archives.c.fun.ac.jp/TamotoAlbum/)。古地図など多様な所蔵資料を対象に、地元の大学と研究・試行してきたデータベース化の一環。(……)
東京・新宿で写真家たちが自主運営するフォトグラファーズ・ギャラリーも毎年刊行する雑誌「press」[=『photographers' gallery press』]第8号で田本を特集する。同図書館を含む所蔵先の約400点を収録し、写真の記録性が論じられた60年代末の動向の再検証といった多数の寄稿とともに、5月の刊行を予定している。

(……)
一九六一年、彼は津軽から突如上京する。そしておそらくただ一度、東京の風景を撮った。それは『カメラ毎日』に発表されたのであるが、私が小島一郎の名前をたぶんこれからも忘れることができなくなったのはこの写真のためである。彼の撮った東京の風景、それはビルや工場が沢山建ち並んだ風景で、その建物の上方にはやはり鈍く光る太陽があった。
小島が撮った東京の太陽、それを私はいつの頃からか朝日であると思いきめていた。あの風景は北から東北本線や常磐線の夜行列車で運ばれてきた乗客が、明け方、一晩中身を折りまげて寝た気怠さと、弁当の空箱や床に敷かれた新聞紙などでどこか殺伐とした車窓からみる、東京の最初の風景なのだった。
それは私が見た最初の東京の風景でもあった。その日は快晴で、朝五時頃、やはり鈍く光る太陽が工場や荒川や民家の上にあった。
ローザマネキン、大沢工場、サロン少女林、田中製本、アパート、アパート、丸里外科、ホテルニューリード、旅荘水月、山田医院、アパート、アパート、アパート、大宗家具センター、デルタ、そして団地の窓、さらにアパートの窓、一軒家の窓。一軒残らずバラックの家並。窓ガラスは全部閉じられて、カーテンの所で視界は遮られる。その中にひとつひとつの愛ある生活がくりひろげられている。これが私の東京の第一景だった。
小島一郎の撮った東京の風景は、やっぱり暗く寒々として、津軽の風景のようであった。しかしそれは、いうまでもなく津軽の風景ではない。彼は津軽でも東京でもない場所をあの夜行列車の夜明けの車窓に見たのではなかったのだろうか。東京と故郷との時空の結合をこばむ鋭角な谷間、辺境へと自らの眼を向けていったのではなかったのか。彼の写真にみる、津軽の過酷な風景にではなく、車窓をフレームにしたガラス越しの夜明けの東京の第一景に辺境を見たのではなかったのかと思う。
上京の後も、津軽や下北、さらに北海道を撮ることの方がほとんどであった彼は、その行き帰りに何度となくガラス越しにこの風景をみていたのだろう。その頃から彼は自分自身の内部へと向って、歩行を急速に早めていったように思う。
私は先日、ほとんど十五年ぶりで小島一郎の写真をみた。そこでひとつ、長い間かってに思い込んでいた大きな勘違いを発見した。小島が撮った東京の風景の太陽は朝日ではなかったのだ。夕日である。その上題名までがなんと「東京の夕日」となっていた。しかし写真は、どの写真も記憶していたイメージのままであり、彼はやはりあの夜明けの風景を頭に描いていたのではないかと思っていることに、今でも変りない。
(……)
(大島洋「小島一郎の風景」、『写真幻論』、晶文社、1989年、230-231頁。初出=『写真試論』1979年5月)