
深更、都内某所で入手。「非暴力や忍耐や愛だけでは、決して、あなたや私の、すなわちわれわれ自身の自由を獲得できないのだ」(ストークリー・カーマイケル/J.-L.ゴダール『ウイークエンド』)、「公式的なものの見方のためにがんじがらめになっている連中こそ異端者で、そいつを解放しようとするものこそ正統派だろうじゃないか」(花田清輝「モラリスト批判」)etc.etc.
インスクリプト通信 速報と雑報









『ヒロシマ・モナムール』は「平和についての映画」といった紋切り型を乗り越えるための映画であり、だから映画についての映画、映像についての映像であり、あらゆる人々がカメラをもって世界に対峙し、映像を「灰の中から蘇らせる」(デュラス)ための企てだった。そうした映像の往還とも言うべきプロセスの渦中に生まれ、今まで知られていなかった写真が不意の蘇りを遂げた奇跡に喜びを覚える。これらの写真にみなぎるのは、灰の中から蘇ったものだけがたたえる“若さ"なのだ。
ガルシア=モラーレスの家は、何よりも女たちの住む場所として立っている。これは[映画版『エル・スール』において]エストレーリャの母親がほとんど家から外にでない事実と、そして逆に父親には映画館、バル、駅のホテルが用意されている事実とに対応しているが、小説[の『エル・スール』]にあっては庭も含めた家こそが物語の中心点であり、後半になるとセビーリャの家屋がその庭やパティオとともに、次々と描写されてゆく。[……]エリセの映画で家が親子による秘義的な情愛の場として定義づけられるのと相反するように、また、ある意味では折り重なるように、ガルシア=モラーレスのテクスト群では、それは女たちのセクシュアリティーが濃密に凝縮され、〈父〉との葛藤とその内面化が体験される空間として構築される。両者の差異は、作家としての両者の資質的な差異であることを共有しながら、しかし、『エル・スール』という物語の生成のなかでこそ、微妙に反応しあい、あるいは変容の痕跡を意識することもなく、家をめぐって造形される対称的な表象性をつうじて、ひそやかに溶けあっている。
父親の自殺後、「一階にある書斎で、いつものようにベッドに横たわる」遺体と接することを拒んでいたアドリアーナは、ついに「崇高な意志のふるまいによって、わたしは死というものを信じない決心をしました」。そして彼女は確信する。「これからもずっと、パパは生きているのです」。ここにおいて、『エル・スール』は父と娘の物語という地上の寓話であることをやめ、ふたりの作家、アデライダとビクトルがともに描き、作り上げた、天体のイメージとなって生きつづける。
(杉浦勉「アデライダとビクトル──『エル・スール』の家をめぐって」、『E/Mブックス8 ビクトル・エリセ』、エスクァイアマガジンジャパン、2000年、111-112ページ)
(…)彼の「津軽」や「凍ばれる」シリーズの、骨太の造形力と、寒々しい北の大地の手触りを鋭敏に感じとり、ハイコントラストの印画に置き換えていく皮膚感覚は、誰にもまねができないものだろう。あらためて、小島一郎の魅力的な写真世界を若い世代にも語り継ぐという意味で、今回の出版企画の意義は大きい。展覧会も是非! 「この寒い時期に遠い青森」で、あえて、わざわざ、

本展は一人の写真家が歩んだ軌跡を「北」という言葉の傍らで再審するための参照点であり、そこには小島の写真を介してさまざまな補助線を引きうる余白が残されている。そしてそのことにおいて「ご当地作家の回顧展」であることを逸脱しているだろう。しかしその逸脱のなかにこそ、「北」を生きた小島一郎の写真における今日的な課題が懐胎されているのではないだろうか。

回想は、永遠の断絶の記録として書きとめられたのだ。父親と娘。二つの個は、ささやかな家族共同体のなかで手を握りあい、一瞬ともに踊り、歌い、対話したかもしれない。だがその本質的ないのちと生活との断絶の相を最後にきわだたせながら、二人は別々の生を選択した。少女が、父親の影を一生追いつづける過程は、またもう一つの物語の始まりだ。憧憬が、彼女を父親の生地であるセビーリャへと、椰子の揺れる南の土地へと引き寄せる。憧れという感情のなかだけに、父親の影が生きのこった。だが思春期の終わりとともに憧れの心が色あせたとき、少女の体の一部をつくりなしていた髭の男の絶望は、知らぬままに消滅してゆくのだ。
(今福龍太「思春期のフェミニズム」、『遠い挿話』、青弓社、1994年、139ページ)






昭和30年代に活躍し、いったん忘れられた写真家、小島一郎(1924〜64)の再評価が近年始まっている。地元の青森県立美術館では、初の大規模な回顧展「小島一郎 北を撮る」が開催中だ。東北の地域性に根ざしながらモダンな写真をめざした小島の魅力を探った。
「これはどこなんだ」。本展を企画した地元出身の同館学芸員の高橋しげみさんは、小島の作品を初めて見た時にそう思ったという。「知っている土地なのに別世界だ」
確かに、「つがる市木造」(58年)は、まるでミレーが描く農作業風景のようだ。
39歳で亡くなった小島一郎の活動期間は約10年だった。(……)




(…)これまでに見た戦後の広島を撮ったさまざまの写真のなかで、最も強く心惹かれた写真集のような気がする。気負いがなく、穏やかなまなざしで、原爆投下から十三年経った復興前夜の広島の、敢えていえば、この時代の日本のどの町にも見ることの出来ただろう、明るく活気ある日常生活が撮られている。それでいて、原爆の被災から離れて見ることができない。(…)ぜひ多くのひとに見ていただきたいと思う。
民主主義を巡る数多の議論のなかで、私にはランシエールの考えが最も説得力を持つもののように思える。本書では、『不和あるいは了解なき了解』(インスクリプト)で示された思想が、現在の世界の情勢に応じた形で平易に述べられている。
今日2月1日放送のNHK教育「新日曜美術館」の「アートシーン」のコーナーで、青森県立美術館「小島一郎 北を撮る」展が紹介されています。朝の放映はもう終わってしまいましたが、ご覧になっていない方はぜひ夜の再放送(20時45分くらいからでしょうか)をどうぞ。展覧会の様子をご覧いただけると思います。