2009年12月31日木曜日

インスクリプト2009

2009年、小社からは以下の書目の刊行をいたしました(日付は奥付のものです)。今年一年、ご愛顧いただきました皆様に心より御礼申し上げます。良いお年をお迎えください。

[新刊]
『小島一郎写真集成』青森県立美術館監修、1月10日
『エル・スール』アデライダ・ガルシア=モラレス著/野谷文昭・熊倉靖子訳、2月18日
『霊と女たち』杉浦勉著、7月21日
『愛の小さな歴史』港千尋著、12月5日
『PARK CITY』笹岡啓子写真集、12月25日
『斜線の旅』管啓次郎著、12月25日[発売は2010年1月8日から]

[重版]
『小島一郎写真集成』2刷、2月25日
『HIROSHIMA 1958』(エマニュエル・リヴァ写真集、港千尋ほか編、08年11月刊)2刷、3月5日
『小島一郎写真集成』3刷、4月10日
『エル・スール』2刷、5月22日
『文字の母たち──Le Voyage Typographique』(港千尋写真集、07年3月刊)3刷、10月15日

[受賞]
『小島一郎写真集成』:第21回「写真の会」賞

アラン・レネ全作上映、2010年3月


ユーロスペースから届いた案内のなかに入っていた同館の2010年ラインナップに、「特集上映:フランス映画祭2010関連企画 アラン・レネ全作上映」という企画が掲載されておりました。2010年3月、ユーロスペースと東京日仏学院の2会場で上映、とのことです。「全作」とのことですから、今年のカンヌ映画祭で特別功労賞をレネが受賞した、最新作『Les herbes folles』(2009、英題『Wild Grass』)も含まれていることでしょう。(上に載っているロジエ・レトロスペクティヴも行かないと……。)

なお、既報済みですが、シネマヴェーラ渋谷での「ヌーヴェルヴァーグの50年」特集で、1月3日(日)と7日(木)に『ヒロシマ・モナムール』(アラン・レネ、1958)が上映されます。

小社刊行の関連書、エマニュエル・リヴァ写真集『HIROSHIMA 1958』と港千尋著『愛の小さな歴史』も好評発売中です。

2009年12月29日火曜日

ビクトル・エリセ、2010年上映情報

東京芸術センターでの『エル・スール』上映は昨日まででしたが、来年には以下のような上映スケジュールが公表されています。

2010年1月16日(土)〜22日(金)
シネマ・クレール(岡山市)
『ミツバチのささやき』『エル・スール』
http://www.cinemaclair.co.jp/

2010年1月23日(土)〜2月5日(金)
静岡シネ・ギャラリー
『ミツバチのささやき』『エル・スール』
http://www.cine-gallery.jp/

2010年1月31日(日)
新文芸座(東京・池袋)
『ミツバチのささやき』『エル・スール』
※二本立て興行。「スクリーンで観ておきたい 珠玉の名編Vol. 10 世界名作ア・ラ・カルト」特集での上映
http://www.shin-bungeiza.com/


小社刊『エル・スール』好評発売中です。

2009年12月28日月曜日

『愛の小さな歴史』読売新聞書評予定


昨日の各紙書評欄の「2009年の3冊」(読売・朝日・日経・東京の4紙。毎日は通常書評)をチェックしているさいに見つけましたが、「読売新聞」2010年1月10日の書評ラインアップに小社刊行『愛の小さな歴史』(港千尋著)がリストされておりました。書評委員の過半が交代になることもあり、どなたがお書きになるのかはまだわかりませんが、楽しみにしております。

2009年12月26日土曜日

『PARK CITY』A1ポスター@青山BC六本木店



青山ブックセンター六本木店にて、笹岡啓子写真集『PARK CITY』のA1ポスターを展示しております(ポスターデザイン:田中勲)。さきほど設営して参りました(「休業」といっても仕事はしているのです…)。入口をはいって左手、2階へ上る階段わきのガラスケースです。右に見えるのは、荒木さんの『遺作 空2』。


階段を上って左手が写真集のコーナーです。『PARK CITY』も目立つところに積んでいただいております。

2009年12月24日木曜日

『愛の小さな歴史』@中国新聞文化欄

(クリックすると大きくなります)

港千尋『愛の小さな歴史』が、「中国新聞」2009年12月19日付朝刊の文化欄にて紹介されております。ウェブには載っていない模様ですので、スキャンしました。《本書は、昨年発売の写真集『HIROSHIMA 1958』とともに何度でも繰り返す愛の歴史の不思議さを語りかける。》

2009年12月22日火曜日

ランシエール『感性的なもののパルタージュ』刊行@法政大学出版局  


小社刊行の『不和あるいは了解なき了解』『民主主義の憎悪』につづき、ジャック・ランシエールの3冊目の邦訳書が登場しました。

『感性的なもののパルタージュ──美学と政治』
梶田裕訳、法政大学出版局、叢書・ウニベルシタス931、税込2310円

きょうから書店店頭に並んでいる模様です。2000年刊行の原著はたいへん小さな本で、与えられた質問にランシエールが応答する体裁で、副題の通り、美学と政治に通底する問いに迫っていく、という趣旨の一冊です。『不和』の副読本としても比較的わかりやすい叙述で(むかし原書で読んだときにはそんな気がしましたけどね……)、この本からランシエールを読み始める、というのも追記訂正(12/31):読み出したらこれはこれで難しかったです。『感性的…』だけでは議論の布置がわかりにくいですので、以下のように訂正]『不和』とあわせてお読みいただく、というのが良いかと思われます。

(むろん、白水社の「哲学の現代を読む」シリーズの市田良彦著『ランシエール──新〈音楽の哲学〉』もお忘れなく。たぐいまれな「奇書」だと思います(褒め言葉のつもり)が、第1章「哲学から音楽へ──ランシエールを駆け抜ける」はたいへん鮮やかなランシエール「解説」にもなっています。)

なお、今回の邦訳書は、総ページ208のうち、原著翻訳部分が64ページ、「日本語版補遺」として加えられた訳者による著者インタビュー「フィクションの擁護のために」が66ページ、訳者解題・訳者あとがきが62ページ、という構成になっています。ちなみに、カバーに使われている写真は、本文でも言及されるウォーカー・エヴァンズ。

仄聞するところでは、ランシエール4番目の邦訳書として『イメージの運命』(原著2003年)が遠からず刊行される見込みとのこと(堀潤之訳、平凡社)。また、上述のランシエール・インタビューの訳注には、『無知なる教師』(1987年)と『解放された観客』(2008年)が「法政大学出版局より刊行予定」とあります。小社も近刊予定に複数冊ございますが、刊行まではいましばらくお待ちください。

[追記]みすず書房からさきごろ刊行されたジャック・デリダ『ならず者たち』(鵜飼哲・高橋哲哉訳)に付された、やや長めの「訳者あとがき」のなかで、鵜飼さんが、ランシエールの最近の論攷(「民主主義は到来しなければならないのか?──デリダにおける倫理と政治」、未邦訳、この論集に所収)にふれ(pp. 317-321)、デリダとランシエールとのあいだの「民主主義」理解における、微妙な差異を指摘されています。こちらもご参照のほどを。

『斜線の旅』見本出来、『PARK CITY』取次搬入


管啓次郎著『斜線の旅』の見本が小社に到着しました。奥付の日付は2009年12月25日としておりますが、書店店頭に並ぶのは年明けになります。1月8日から発売です。

笹岡啓子写真集『PARK CITY』が取次に納品されました。奥付の日付は2009年12月25日としておりますが、書店店頭に並ぶのはあさって木曜日(24日)以降の見込みです。なお、既報の通り、明日23日いっぱいまでphotographers' galleryにて先行特別価格販売を行っております。ウェブでの通信販売も受け付けております。ぜひどうぞ。

『小島一郎写真集成』@『アサヒカメラ』「いま注目すべき写真の仕事2010」


『アサヒカメラ』2010年1月号でも『小島一郎写真集成』が取り上げられておりました。「注目すべき写真の仕事2010」特集の「注目の写真集」のコーナー(執筆は赤坂英人さん)。《青森県出身の写真家・小島一郎の作品を網羅した『小島一郎写真集成』は、けっして「地方性」でのみ語ることができない彼の写真が持つ造形性の魅力を、改めて感じさせるものだった。》ここでも、やはり(と言うべきなのか?)『pg press no.8』田本研三特集と並んでいます。

『霊と女たち』@図書新聞「09年下半期読書アンケート」(上村忠男さん)



「図書新聞」
最新号(2009年12月26日号/2947号)が、年末恒例の「09年下半期読書アンケート」特集を組んでおりますが、そこで小社刊『霊と女たち』(杉浦勉著)が取り上げられています。選者は上村忠男さん(学問論・思想論)。上掲のとおりです。

2009年12月21日月曜日

小島一郎四題:県美常設展詳細、『トランヴェール』、カレンダー、読売毎日回顧

小社刊行『小島一郎写真集成』(青森県立美術館監修、3990円、現在3刷)は、そろそろ刊行より1年ほどになりますが、引き続き好評を頂いております。関連情報をまとめてご報告。

1)すでにお伝えしております、青森県立美術館での来年1月1日からの常設展での小島一郎写真の展示ですが、詳細が発表されました。以下、県美のウェブより転載:

冬のコレクション展 春を待つ祈り/人間を彫る
青森県立美術館
2010年1月1日(金)〜3月22日(月・祝)


展示室M|小島一郎 津軽 昭和三二〜三六年
KOJIMA Ichiro , Tsugaru 1957-1961

《「青森駅から奥羽線に乗り、弘前の手前の川部駅で五能線にのりかえて、五所川原あるいは木造で下車して津軽半島に向かって北上する」。これが写真家の決まりの撮影行でした。
大正13年、青森市大町[現:本町]に、県内で最も古い写真材料商を営む家の長男として生まれた小島一郎は、昭和30年代、青森県内をくまなく歩き、津軽の農村や厳冬の下北の風景を撮った写真家です。若くして命を落とした小島が、写真家として活動した期間はおよそ10年にすぎません。しかし、その短い間に、独特の造形感覚と複雑な印画の技法によって、郷土への熱い思いに裏打ちされた印象的な写真の数々を残しました。
青森県立美術館は、2005年に3000点以上に及ぶ小島の写真や資料を、遺族から寄託されています。
冬のとりわけ荒れた日を選んで撮影に出かけた小島一郎。「猛烈な吹雪に吹きつけられながら、十里余の道のりを休むまもなく歩きつづけながら、あるいは道あって道のない雪の吹き溜まりに落ちこんでもがいたりしながら──」過酷な撮影行は続けられました。
ここでは足しげく通った津軽地方西北部を被写体に、覆い焼きの技法を取り入れながら力強く焼き付けられた、小島一郎の津軽の冬をご覧いただきます。》

http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/29/index.html#m

2)JR東日本の車内誌『トランヴェール』の2009年12号が「感性がうずく、青森を旅する──青森に魅了されたアーティストたち」という特集を組んでおり、寺山修司、前川國男とならんで、小島一郎が取り上げられています。全5ページ。新幹線に載るとラックに挟まっている例の冊子です。記事の末尾に「「小島一郎展」開催決定!」とありますが、これは上記のとおり、青森県立美術館での常設展内での展示ですので。為念。


3)小島一郎の写真をフィーチャーした2010年カレンダーをつがる市(青森県)が制作しています。『小島一郎写真集成』にも収録されている6点が用いられています。部数限定で無料配布とのことです。以下の陸奥新報の記事をご参照。お知らせが遅くなりましたが、ご希望の方は記事に載っている連絡先にご照会してみてはいかがでしょうか。
http://www.mutusinpou.co.jp/news/2009/12/9372.html

【追記】つがる市配布分はすでに在庫が切れたようです。即日無くなった模様です。すみません……。
http://www.city.tsugaru.aomori.jp/information/osirase043.html


4)読売新聞2009年12月17日付朝刊の文化欄「回顧2009アート」のなかで、「写真」のコラムを記者の前田恭二さんがお書きになっています。田本研三特集の『photographers' gallery press』の紹介に続いて、「青森県立美術館の小島一郎展も、入念な回顧展として忘れがたい。」との一節がありました。


また、毎日新聞同日付朝刊文化欄では飯沢耕太郎さん(写真評論家)の執筆による「この1年:写真」という回顧記事でも、「印象に残った展示となると、東京以外の展覧会も多くあがってくる」とのくだりのなかで、「小島一郎──北を撮る」展が言及されています。

2009年12月19日土曜日

高野文子先生の次回作は……

こどものとも年少版 2010年2月号
『しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん』
高野文子作・絵

「しきぶとんさん、かけぶとんさん、まくらさん。あさまで よろしくおねがいします」夜、眠りにつく前のひととき。男の子は「おしっこがでたがりませんように」「おっかないゆめをみませんように」……と、しきぶとん、かけぶとん、まくらたちに、そっとお願いをします。すると彼らは「まかせろ、まかせろ」と男の子を優しく、暖かく、包み込んでくれるのでした。

定価:410円(本体価格390円)
ページ数:24
サイズ:21X20cm
初版年月日:2010年02月01日
出版社:福音館書店

●対象年齢:2才〜4才向き

http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=20903

2009年12月17日木曜日

笹岡啓子写真集『PARK CITY』推薦文

まもなく発売いたします笹岡啓子写真集『PARK CITY』のフライヤー(目下制作中)のために、伊藤俊治さん・港千尋さん・土屋誠一さんに推薦文をお寄せいただきました。当欄にも転載させていただきます。本書の栞としてご執筆いただいた倉石信乃さんのテキスト「広島の印象」(6000字/日英バイリンガル)からの引用ともあわせて、どうぞ。



伊藤俊治(美術史家)
光をあてて見るのではなく、影を投げ掛けて、その不確かな存在をなぞる。絡まりあい、沈んでいった澱が、呟きにさえなれない無数の身体の淀みが透けて見えてくる。風景にすべりこむ、潜在する影の織物。

港千尋(写真家)
都市を動く秘密の足。誰にも見えないサーチライトは、静かに、着実に、わたしたちの行動を走査してゆく。立方体に取り込まれるのは、日々の忘却。その微視的歴史の連鎖をとおして浮かび上がってくるのは、21世紀の屏風絵。新しい『洛中洛外図』、それはあらゆる計画の彼方、どんな契約からも約束からも誓いからも離れて立つ、まなざしの誕生だ。

土屋誠一(美術批評家)
今日、広島を撮ること。だが、広島を撮影することなど可能なのか?──断言しておこう、これらの写真群は、「表象不可能性」などという言説がときに滲ませる自己慰撫とは、およそ無縁である。ここに刻印されているものは、極めて繊細に、かつ果敢に、広島と対峙し続ける写真家の、確かな痕跡にほかならない。『PARK CITY』を手に取る者は、新たなる広島=公園のイメージに、静かに、しかし衝撃的に直面することになるだろう。そして、なによりも今、私たちが知るのは、写真の新たなる潜勢力を拓く、笹岡啓子という存在の圧倒的な手応えである。広島=公園に鋭く切り結ぶこの写真家の登場に、刮目せよ。

倉石信乃(批評家/本書栞「広島の印象」より引用)
(…)いまも新たに被爆資料がアーカイヴに収蔵・展示され続けているのと同様に、被爆の記憶を言葉で記録する努力も積み重ねられている。読み継がれるべきそうした証言集の一端に触れるとき、体験者たちの多くが「無感動」の心的状態に陥ったという条りでいつも胸を衝かれる思いがする。自分を失った、放心して空のよう、無気力に、途方にくれた、何も感じない、感じたことは何もない、もう何の感情もなくなりかけていた、無感動に、まひして、さめた気持で見ていた、無関心で通りすぎた……。こうした証言の数々の重さを、素材にするわけでは全くなく、理解しているというのとも違う。だがそれらとの確かな結び目を持った写真として、笹岡の『PARK CITY』は出現している。公園を通過し資料館を鑑賞する観光客も地元の住民もみな、所在なく、あてどない。この途方もない記憶の扱いでは、われわれの日常に遍在する、関心の所在なさ、あてどなさに耐えてさまよう持続がまず、基底に置かれなければならない。笹岡の捉える、公園の夜闇に紛れる人影も、写真集の冒頭に連なる白日の、無人の光景も、すべてはこの歩行形式の演習につながる。そこからようやく証言者がたどらざるを得なかった、死に直面した無感動という極限状況へのアプローチが始まるのだ。笹岡啓子の写真は「所在なさの強度」を持つ、類例のない達成である。それは死者たちへと向かうわれわれの困難な想起の通路を、静かに指し示している。

2009年12月16日水曜日

【近刊】管啓次郎『斜線の旅』


『斜線の旅』
管啓次郎=著

地名がぼくの呪物(フェティッシュ)だった

水半球に横たわる「見えない大陸」(ル・クレジオ)、ポリネシア。フィジー、トンガ、クック諸島、タヒチ、そしてラパ・ヌイ(イースター島)へ。アオテアロア=ニュージーランドを拠点に、太平洋の大三角形の頂点を踏みしめ、旅について、旅の記述について、行くことと留まることについて、こぼれ落ちる時間のなかから思考をすくいあげる生のクロニクル。

2010年1月8日発売予定

四六判上製280頁
装幀:間村俊一
写真:港千尋
定価:本体2400円+税
ISBN978-4-900997-28-8

[本書より]
ぼくの旅は徹底的に観念的なものであり、それが弱みであり、強みでもある。(…)観念的であるがゆえに楽しめない性格のつけは、すでに十分に支払ってきた。だが一方で、そもそも観念的な行程を脳裏に描かなければけっして行かない場所に行ったりもする。ポリネシアは三角形なんだって? だったらそれぞれの頂点には行かざるをえないね。これは愚行だ、否定できない。地図を見たり、どこかで見かけた一枚の写真にとりつかれたり、何かの文章の一節が妙に気にかかったりして、無根拠に出発する愚者の一部族。ぼくはそのひとりだった。(198頁)

[目次]
フィジーの夕方
湖とハリケーン
ヌクアロファ
最後の木の島
オタゴ半島への旅
タンガタ・フェヌア(土地の人々)
青森ノート
見えないけれどそこにいる、かれら
「世界写真」について
ほら、まるで生きているみたいに死んでいる
ここがもし聖地でなければどこが
もしアメリカがなかったら、いまは
モーテルと地図帳
金沢で会う寒山、拾得
島と鳥、鳥と果実
その島へ、この海を越えて
桜、花、はじまり、小さな光
島旅ひとつ、また
ユートピアからパペエテ
ラロトンガ縦断、その他の気まぐれ
武漢
冬のフランス
テ・マエヴァ・ヌイ
マオリの島の片隅で
あとがき

[初出]
『風の旅人』(ユーラシア旅行社)16号(2005年)〜38号(2009年)、「マオリの島の片隅で」のみ『言語社会』1号(一橋大学大学院言語社会研究科、2007年)

[関連書]
『ホノルル、ブラジル──熱帯作文集』管啓次郎著、2006年12月発売、税込1680円。現在2刷。詳細はこちら

2009年12月12日土曜日

渡辺公三×昼間賢選書ブックフェア@ジュンク堂新宿店


渡辺公三・昼間賢両氏による対談(すでに終了)に関連して、対談がおこなわれたジュンク堂新宿店にて、お二人の選書によるブックフェアが開催されています。ジュンク堂書店新宿店7階東側エレベーター前フェア棚にて、今月30日までとのこと。小さなスペースに40点ていど展示されています。小社の刊行書からは、昼間賢『ローカル・ミュージック』とマリー・ンディアイ『みんな友だち』が並んでおります。選書リストは、担当書店員さんによるこちらのブログをご参照。

2009年12月11日金曜日

『小島一郎写真集成』@週刊読書人「2009年の収穫」(楠本亜紀さん)


「週刊読書人」最新号(2009年12月18日号/2818号)が「二〇〇九年の収穫」アンケートを掲載しておりますが、そこで小社刊『小島一郎写真集成』が取り上げられています。選者は、楠本亜紀さん(写真評論家)。《青森出身の小島一郎の視線を媒介に、中央から期待される地方色ではない「北を撮る」ことの困難さとその意味を問うた労作。》くわえて、『photographers' gallery press no.8』(photographers' gallery)と『北海道』(森山大道写真集、RAT HOLE)という並びです。

ちなみに同紙巻頭は、レヴィ=ストロースをめぐる、港千尋・芳川泰久対談。

2009年12月10日木曜日

キネ旬外国映画オールタイムベスト10に『エル・スール』

きのうきょうからキネマ旬報創刊90周年記念『オールタイム・ベスト 映画遺産200』の「外国映画篇」が発売されております。その10位に『エル・スール』(ビクトル・エリセ監督/1983年)がランクインしていました。先月の時点でベスト10はウェブですでに発表されておりましたが、あらためてご報告。

http://www.kinejun.com/tokubetsu/90th_bestten.html

この順位、どんなものなんでしょう……。

(ちなみに、前号の芝山・中原対談は興味深く読みました。とくに中原さんのナイト・シャマラン評価。編集は高崎俊夫。)

小島一郎@コロノス芸術叢書『アートポリティクス』


このたび刊行が始まった「コロノス芸術叢書」(編集・発行:コロノス芸術叢書編集委員会/発売:論創社)の第1弾『アートポリティクス』に、豊島重之さん(モレキュラーシアター演出家・ICANOFキュレーター)が寄稿されていて、そこで小島一郎の写真が取り上げられています。「不審船──二歩と二風のフーガ」と題された論考は、容易に要約というか説明というか紹介しがたいものではありますが(全47ページ……ということは100枚強?……たいへんに長い)、タイトルだけだと何ひとつ分からないでしょうから、一言だけ申し上げれば、「北海道」のポリティクスを問う、ということになりますか。全文お読みになって理解できるかどうかも当方は保証いたしかねるところもございますが、それはともかく、小社が『小島一郎写真集成』を図録として刊行した、青森県立美術館での展覧会「小島一郎──北を撮る」(2009年1月〜3月)の最後の展示室が、「小島一郎の北海道」と題され、その部屋のキュレーションが豊島氏に委託されたのでした。小島一郎が“撮り損ねた”北海道の写真、つまり“不在の写真”を主題にしつつ、開拓史以来の歴史を召還しようする試みだったと言えましょうが、その余波のなかで書かれた論考です。

2009年12月9日水曜日

『PARK CITY』見本出来/先行予約受付


笹岡啓子写真集『PARK CITY』の見本が本日届きました。

さて、書店さんでの発売は12月24日以降の見込みですが、笹岡さんもメンバーの一人であるところのphotographers' galleryにて、先行予約受付をしております期間限定の特別価格です。こちらでご注文いただければ、いち早くお届けできるかと思います。

http://pg-web.net/scb/shop/shop.cgi?No=262

上記ページでは本の内容もご確認できます(「内容を見る」をクリック)。

『エル・スール』今年最後の上映、本日より

今年最後です、たぶん。東京・北千住の「東京芸術センター」内にある「シネマブルースタジオ」です。28日まで、1日4回上映。しばらく上映の機会はないかもしれませんので、ぜひお見逃しなく。フィルム上映です。
http://www.art-center.jp/tokyo/index.html

なんでこんなところでいきなりエリセ(にかぎらずいわゆる「名画」)がスクリーンに掛かるのか(しかもちゃんとフィルムで)疑問だったのですが、このセンターと劇場については、『nobody』の最新号(31号)で、センターの建築家にして「事業設計・運営者」の方へのインタビューが読めます。建築家兼事業者、というところがキモなのでした。

『マラルメ全集』の「4」詩の巻の訳稿がそろってきていて…


「御存知のように来年刊行されるようです。」ぜんぜん御存知じゃありません。何も終わらないのかと思っていたら、終わるものもあるのですね。慶賀の至り。20年掛かってきちんと完結させる版元の名は、筑摩書房。文庫と新書と金持ち父さんしか出さなくなったわけじゃないのだ。上記発言は、『新潮』2010年1月号の大江・古井対談での大江さん。

2009年12月8日火曜日

港千尋『愛の小さな歴史』本日発売


書店店頭にてご覧ください。並んでいるはずです。当方多事多端で(「何も終わらない、何も。」……)、今日はどこの本屋にも参れませんでしたが、リブロ渋谷店さんがtwitterでご報告いただいたりしているのを拝見しておりました……。上の写真は、小社の在庫。

2009年12月4日金曜日

『ホノルル、ブラジル』@『フィガロジャポン』読書特集


『フィガロジャポン』が最新号(2009年12月20日号/401号/明日発売)で読書特集「フィガロの読書案内202冊。」を組んでおりますが、そのワンコーナー「読むは愉しみ。大の本好きがおすすめする珠玉の3冊。」で、小社刊『ホノルル、ブラジル──熱帯作文集』(管啓次郎著、06年12月刊)を、岡尾美代子さん(スタイリスト)が挙げられています。同じ枠で、大竹昭子さんも管さんの近著『本は読めないものだから心配するな』(左右社、09年10月刊)を選んでいますね。特集の詳細は、サイトをご確認ください。

小社より刊行の管さんの次著『斜線の旅』は来年明けに発売です。『風の旅人』での連載をまとめたもの。詳細は後日ご紹介いたします。

2009年12月3日木曜日

『霊と女たち』書評@『週刊金曜日』(五所純子さん)


杉浦勉著『霊と女たち』の書評が、『週刊金曜日』最新号(778号/2009年12月4日号)に掲載されています。「きんようぶんか」の読書欄、評者は五所純子さん(文筆業)。

2009年12月2日水曜日

【近刊】笹岡啓子写真集『PARK CITY』


『PARK CITY』笹岡啓子写真集

広島は公園都市である。

その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。
公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。
そこに何が見えるのか。
街はすでに感光している、目を凝らせ。
写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。

[栞]倉石信乃「広島の印象」

2009年12月24日発売

★12月23日まで、photographers' galleryにて特別価格で先行予約受付中
こちら

W250×H236mm上製108頁
ダブルトーン100点収録
装幀:間村俊一
定価:本体4600円+税
ISBN978-4-900997-27-1

笹岡啓子(Sasaoka Keiko)
写真家。1978年、広島市生まれ。2002年、東京造形大学卒業。2001年の設立時よりphotographers' galleryに参加。「SASAOKA Keiko 2001−2007」(タマダプロジェクトコーポレーション・東京、2008年)、「PARK CITY」(銀座ニコンサロン・東京、2008年)ほか個展多数開催。photographers' galleryより、『HORIZONS』(2002年)、『PARK CITY』(2004年、05年)、『観光 KANKO』(2004年)を出版。2008年、「VOCA展2008」奨励賞受賞。

★書容・内容見本はこちらでご覧いただけます。



[本書栞「広島の印象」より]

倉石信乃(批評家)
いまも新たに被爆資料がアーカイヴに収蔵・展示され続けているのと同様に、被爆の記憶を言葉で記録する努力も積み重ねられている。読み継がれるべきそうした証言集の一端に触れるとき、体験者たちの多くが「無感動」の心的状態に陥ったという条りでいつも胸を衝かれる思いがする。自分を失った、放心して空のよう、無気力に、途方にくれた、何も感じない、感じたことは何もない、もう何の感情もなくなりかけていた、無感動に、まひして、さめた気持で見ていた、無関心で通りすぎた……。こうした証言の数々の重さを、素材にするわけでは全くなく、理解しているというのとも違う。だがそれらとの確かな結び目を持った写真として、笹岡の『PARK CITY』は出現している。公園を通過し資料館を鑑賞する観光客も地元の住民もみな、所在なく、あてどない。この途方もない記憶の扱いでは、われわれの日常に遍在する、関心の所在なさ、あてどなさに耐えてさまよう持続がまず、基底に置かれなければならない。笹岡の捉える、公園の夜闇に紛れる人影も、写真集の冒頭に連なる白日の、無人の光景も、すべてはこの歩行形式の演習につながる。そこからようやく証言者がたどらざるを得なかった、死に直面した無感動という極限状況へのアプローチが始まるのだ。笹岡啓子の写真は「所在なさの強度」を持つ、類例のない達成である。それは死者たちへと向かうわれわれの困難な想起の通路を、静かに指し示している。

[推薦文]

伊藤俊治(美術史家)
光をあてて見るのではなく、影を投げ掛けて、その不確かな存在をなぞる。絡まりあい、沈んでいった澱が、呟きにさえなれない無数の身体の淀みが透けて見えてくる。風景にすべりこむ、潜在する影の織物。

港千尋(写真家)
都市を動く秘密の足。誰にも見えないサーチライトは、静かに、着実に、わたしたちの行動を走査してゆく。立方体に取り込まれるのは、日々の忘却。その微視的歴史の連鎖をとおして浮かび上がってくるのは、21世紀の屏風絵。新しい『洛中洛外図』、それはあらゆる計画の彼方、どんな契約からも約束からも誓いからも離れて立つ、まなざしの誕生だ。

土屋誠一(美術批評家)
今日、広島を撮ること。だが、広島を撮影することなど可能なのか?──断言しておこう、これらの写真群は、「表象不可能性」などという言説がときに滲ませる自己慰撫とは、およそ無縁である。ここに刻印されているものは、極めて繊細に、かつ果敢に、広島と対峙し続ける写真家の、確かな痕跡にほかならない。『PARK CITY』を手に取る者は、新たなる広島=公園のイメージに、静かに、しかし衝撃的に直面することになるだろう。そして、なによりも今、私たちが知るのは、写真の新たなる潜勢力を拓く、笹岡啓子という存在の圧倒的な手応えである。広島=公園に鋭く切り結ぶこの写真家の登場に、刮目せよ。

【近刊】港千尋『愛の小さな歴史』


『愛の小さな歴史』港千尋=著

1958年7月、アラン・レネは広島へ向かった。まだ起きていないが、これから起きる恋愛について書かれた明日の新聞をもって……。

アラン・レネ、マルグリット・デュラスが映画史に残した傑作『ヒロシマ・モナムール』。撮影当時の広島を撮った写真が再発見されたその主演女優エマニュエル・リヴァとの出会いに導かれながら、映画の生成過程に分け入り、時間と記憶、写真と夜と死をめぐる考察を織りあげる映像論の冒険。待望の書き下ろし。

2009年12月8日発売

四六判上製240頁
装幀:間村俊一
定価:本体2500円+税
ISBN978-4-900997-25-7

[カバー写真]
エマニュエル・リヴァが『ヒロシマ・モナムール』ロケで日本を訪れた際に使用したカメラ。このリコーフレックスで1958年夏の広島が撮影された。(撮影=港千尋)

[目次]
掌の夜
愛の小さな歴史
カメラとコーヒーカップ

[本書より]
 わたしたちはいまイメージの新しい時代に入りつつある。写真や映画をインターネット上で共有し、過去につくられたあらゆる種類の映像を検索することが当たり前になった世の中で、イメージは日常生活においても研究の分野においても、これまでとは比較にならないほど大量かつ高速にわたしたちのもとに届く。もちろん先史時代以来、数え切れぬほどの「新しい時代」があったことを思い返せば、これが最初の革新というわけではないし、最後というわけでもないだろう。版画が発明されたとき、活版印刷が始まったとき、写真術が発見されたとき、映画が上映されたとき、最初の衛星通信に成功したとき……こうしたメディアはそれ自体が複雑な、さまざまな個人と社会との関係をとおして発現するものであり、それぞれの始まりには人類学的な背景が存在している。
 わたしたちが、これから映画と写真を対象に行おうとするイメージの探求では、イメージを、目の前に存在するモノとして眺めるのではなく、その形成から分配、所有あるいは消滅までを、人間の経験として考えるという立場をとる。したがってここでは、「見る」ということはいったいどういう経験であるのか、という問いも出てくる。わたしたちは日常的な経験として、昔の写真を見て懐かしがり、あるいはそこに過ぎし日の面影を発見して郷愁を感じる。だが写真に写っている人間をそれとして認知するということは、それほど自明でもないことが、本書でも考察されるだろう。
 取り上げられる作品は、フランスの映画監督アラン・レネが一九五九年に発表した『ヒロシマ・モナムール』とそれにまつわる写真である。日本公開時には『二十四時間の情事』とタイトルされたこの作品は、いわゆるヌーヴェル・ヴァーグの夜明けを告げる新しい映画として映画史に刻まれている。脚本はマルグリット・デュラスが書き下ろし、岡田英次とエマニュエル・リヴァが主演した最初の日仏合作映画でもある。
(……)
 すでに各国で夥しい数の研究が発表されている、もはや古典に属すると言ってもよいこの作品について、新たに付け加えるべき論評はあまりない。わたしたちがここで対象とするのは、評価の定まった完成作品ではなく、この映画がつくられる過程である。特に手紙、ノート、写真といった作品の背後に散らばっている、それ自体がすでに過去のものとなっている資料を直接の材料にして、映画がつくられた時代と都市のありようを再構成してみたい。
 その途上で、メディアと身体のテーマが取り上げられると同時に、歴史と記憶についても考察が加えられる。どれも大きな問題であるが、ロケ現場となった当時の広島を舞台にして、冷戦の真只中という時代状況を振り返り、都市計画やデザインの潮流から、原作者のデュラスが同時代と結ばれていた知的なあるいは個人的な共同体、彼女にとっての写真の意味、さらに当時胎動しつつあった思想まで、できるかぎり時代を横断的に眺めることにしよう。
 書名にあるように、ここでわたしたちは「小さな」歴史を対象にしている。鉄や石のモニュメントとともに、掌に載るような写真や絵葉書も出てくるだろう。だから「ちっぽけな」とも読み替えることもできるだろうが、「小さなこと」のうちに秘められていることが、どのようにして目に見えるようになるか、あるいはならないのか、どのようにして語られるようになるのか、あるいはならないのか、について考えてみたい。
 ある「かたち」が時空を超えて、文化の異なる場所に生き延びることの不思議から、美術史家アビ・ヴァールブルクは独創的な思想を生み出した。生き延びた女性と男性の物語を、その細部においてたどりながら、わたしたちはある認識の形式が、たとえば「瞬間」と呼ばれる経験が、神話時代から極限状況の証言にいたるまで、時空を超え、異なる場所に生き延びることについて、知ることになるだろう。(9─13頁)

[関連書]
『HIROSHIMA 1958』
エマニュエル・リヴァ写真/港千尋+マリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル編、2008年11月発売、税込3675円。現在2刷。詳細はこちら