2009年3月30日月曜日

フィルムセンター2009.4-2010.3

で、その帰りに拾ったフライヤー。





!!


!!!
(「現存するフィルム」って3本ですが…)

ヴィデオを待ちながら


職場の近くですので、ちょっとだけ内覧会を覗いて参りましたが、画期的な展覧会であることは間違いありません。東京国立近代美術館にて、明日(31日)から「ヴィデオを待ちながら──映像、60年代から今日へ」が開催されます。「1970年前後に制作された、造形作家による映像作品」を中心とした展覧会。順不同で、ウォーホル、ヴィト・アコンチ、リチャード・セラ、マーサ・ロスラー、ジョン・バルデッサリ、デニス・オッペンハイム、ブルース・ナウマン、ダン・グレアム、ゴードン・マッタ=クラーク、ロバート・スミッソン……。最新の作家では、トーマス・デマンドや、小林耕平も。美術館スペースでの映像作品の展示というのは一般的に、作品冒頭から見られないとか、隣の音が混じるとか、いろいろ不満も出てきますし、今回の展示がそれを全面的に解決しているわけでもないのですが、これだけ一堂に揃って見られる機会は(本邦ではたぶん今後も)ないでしょう。必見。関係者によるとどうやら全作品の合計時間は12時間に及ぶらしいですので、半日がかりで行かないといけません……。今日は立ち寄っただけですのでさすがにご紹介できるほど見られはしなかったのですが(だからまた行きますけど)、知っている範囲で申し上げれば、また、とりわけ「映画のヒト」はこの種の映像美術作品を敬遠しがちですので、ちょっとだけアジっておきますと、そういう人はとりあえず、

ロバート・スミッソン《スパイラル・ジェッティ》を見て来い!いただければ良いんじゃないかと愚考いたします。

面白いんだから(1970年、16ミリ、35分)。



ちなみに、展覧会カタログには作品解説のほかに、以下のテクストが収録されています。ディスクリプションと分析とが丁寧に付されている作品解説も特筆すべきでしょう。必携。

三輪健仁「不純なる媒体──1970年前後の映像について」
ロザリンド・クラウス「ヴィデオ──ナルシシズムの美学」(石岡良治訳)
ベンジャミン・H・D・ブクロー「リチャード・セラの作品におけるプロセス彫刻とフィルムについて」(三輪健仁訳)
リズ・コッツ「ヴィデオ・プロジェクション──スクリーンの間の空間」(木下哲夫訳)

6月7日まで。連続講演会あり。巡回なし。

『HIROSHIMA 1958』フランス版発売&展覧会情報


昨年11月に小社より刊行しましたエマニュエル・リヴァ写真集『HIROSHIMA 1958』のフランス版が、今月26日に発売されました。

TU N'AS RIEN VU À HIROSHIMA
Photos d'Emmanuelle Riva
Éditions Gallimard, collection "Haute Enfance"
128 pages. 26 Euros.
ISBN:9782070122981

ガリマール社からの刊行です。詳細はこちら。タイトルは『君はヒロシマで何も見なかった』。映画『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』の最初のセリフ(岡田英次)から取られています。まだ当方には現物は届いておりませんが、フランスの書店店頭にはすでに並んでいるはずです。書評もこちらに載っています(仏語)。なお、小社刊の日本版はフランス版よりリヴァの写真を増補し、レネの書簡の一部を割愛しております。撮影地一覧は日本版オリジナルです。

また、パリ15区の「パリ日本文化会館」(Maison de la culture du Japon à Paris)にて、4月14日(火)から4月18日(土)までの5日間、リヴァの写真が展示され、『ヒロシマ・モナムール』ほか広島関連作品の上映会がおこなわれます(仏語字幕の有無は未詳)。初日はリヴァさんの舞台挨拶もあるようです。詳しい次第はこちらをご確認ください。昨年11月〜12月に広島・東京で開催され、そしてこのたびのパリ展です。フランスでの初めての公開です。当地ご在住のかたはぜひどうぞ。また、この夏には大阪でも巡回展を開催する予定です(ニコンサロン大阪)。詳細はあらためて当欄にてご案内申し上げます。

2009年3月29日日曜日

速報!『小島一郎写真集成』、「写真の会」賞受賞!

小社刊『小島一郎写真集成』が、第21回「写真の会」賞を受賞いたしました!

森山大道『北海道』とならんでの受賞です。「写真の会」のウェブサイトに速報が掲示されています。以下、転載。

3月28日(土)、第21回「写真の会」賞選考会が行われ、『北海道』(作者:森山大道・発行:ラットホール)、『小島一郎写真集成』(作者:小島一郎・発行:インスクリプト)に対して受賞となりました。

選考会に参加した会員は以下の通りです。
浅野文宏、生井英考、伊勢功治、大竹左紀斗、白仁田剛、鈴木一誌、深川雅文、光田由里、永田典子(記録係)、高橋義隆(選考権ありのボランティア)

第21回「写真の会」賞受賞作品
◎『北海道』
作者:森山大道
発行:ラットホール
発行年月日:2008年12月

◎『小島一郎写真集成』
作者:小島一郎
発行:インスクリプト
発行年月日:2009年1月10日

『小島一郎写真集成』は目下、第3刷増刷中です。出来日が定まりましたら、またご案内いたします。とりいそぎ、上記受賞の件、ご報告。

2009年3月27日金曜日

『エル・スール』書評@「週刊読書人」(北小路隆志さん)

アデライダ・ガルシア=モラレス著『エル・スール』の書評が、「週刊読書人」最新号(2009年4月3日号/2782号)に掲載されました。評者は、北小路隆志さん(映画評論家)。冒頭を引用──

簡潔な“南”というタイトル同様、その内容や文体にしても大仕掛けな展開や修辞を自ら禁じるかのようなタッチで一気に書き継がれる。(…)ほぼ四半世紀も前に鮮烈な印象を受けた映画のいわば原作に当たる小説を今ようやく僕らは手にしたわけだが、昨今の書店に映画の宣伝も兼ねて所狭しと並ぶ“原作本”の山から受ける押しつけがましさをよそに、この小さな本の不意の登場は清々しいまでに慎ましい。

おそれいります。でも、当欄では押しつけがましかろうが、映画の宣伝もしますよ! 本書評には、「果てしなくも豊かな“目に見えないもの”の往還」との題が付されています。映画/小説のあいだの「往還」ということですけど、それについては同紙にて全文をお読みください。

『小島一郎写真集成』紹介@『キヤノンフォトサークル』

『キヤノンフォトサークル』の最新号(2009年4月号/586号)の「今月の新刊」欄にて『小島一郎写真集成』が取り上げられました。無署名記事。同誌は、誌名の通り「キヤノンフォトサークル」の月刊会報誌。一般には販売・配布はしていないようです。

2009年3月25日水曜日

ねたあとに

これ行きたい(備忘メモ)。ところでみなさんこれはごぞんじで?

『HIROSHIMA 1958』紹介@『ニッコールクラブ会報』(上野修さん)

『ニッコールクラブ会報』の最新号(208号/2009年春号)の「ブックレビュー 上野修の選んだ本 第16回」のコーナーで、小社刊『HIROSHIMA 1958』が取り上げられています。

(…)広島に着いてから、映画の撮影がはじまるまでの約1週間のうちに撮影されたという写真は、しなやかなまなざしを感じさせるもので、半世紀前の映像であるにもかかわらず、とても新鮮です。歴史、文化、社会、映像、映画、写真など、さまざまな観点から見ることのできる興味深い写真集です。

同誌は誌名のとおりニッコールクラブの会員に頒布されるものですが、会員でない方もお求めになれます。ニッコールクラブ事務局までお問い合わせ下さい。



唐突ですが、引用をふたつ。『ニッコールクラブ会報』では伊藤俊治さんが連載「日本・現在・写真」を寄稿されていて、最新号の第16回では倉田精二を論じているのですが、そこでの引用を孫引き。誰の言葉だと思いますか?

本物の写真家は自律的な創造のなかへ自己の存在を解き放つのではなく、自分のレンズの前にある現実の生活の諸現象の実質のなかへ放射するために自己存在を呼びだすのである。それゆえ現実の生活現象は手を触れられないままであり、また透明に見透せるものとなる。もし写真が芸術であるとすれば、それは一風変わった芸術である。つまり伝統的な諸芸術と違って、それは生[なま]の素材を完全に消滅させないことを誇りとしているのだ。

世界をむさぼりつくすカメラのレンズは死への恐怖の徴候である。写真に写真を積み重ねてゆくことで死の想いを追放してしまおうというのだ。ところが死は記憶のあらゆるイメージのなかに常に深くしみとおっている。

バルトでもベンヤミンでもバザンでも中平でもありません。正解は、この人。


引用は『歴史──永遠のユダヤ人の鏡像』(平井正訳、せりか書房、1977年、原著1969年、原題History: The Last Things Before the Last)から。この作家にしてジャーナリストにして社会学者にして文化批評家にして映画理論家の、映像/歴史をめぐる思考については、いずれも最近刊行されたこちらこちらに所収の論考が必読でしょう。

また付記のほうが長くなっているような気もしますが、伊藤さんの引用にちょっと意表を衝かれたものですから、日本では(今は)不遇なこの批評家の紹介もしてみました(上掲の『歴史』も版元品切れですね……)。倉田精二の写真がどう結びつくかについては、どうぞ同誌本文をお読み下さい。

2009年3月24日火曜日

『小島一郎写真集成』紹介@教文館「書店人のオススメ本」

銀座4丁目の書店、教文館さんのウェブサイトで、『小島一郎写真集成』が取り上げられています(すみません、いま気づきました……)。「書店人のオススメ本」のコーナー3月14日の項で、人文・美術・語学書ご担当の永井さん(千葉在住・阪神ファン)が紹介くださいました。店頭にも並べていただいております。銀座にいらっしゃるさいは、ぜひお立ち寄りください。

2009年3月23日月曜日

広島市民球場1957-2009


「さよなら広島市民球場 ファン2万6000人が別れ」という記事が朝日新聞に載っておりました(こちらWebCite)。1957年7月竣工。その翌年の夏、広島を訪れた女優エマニュエル・リヴァが撮った写真にも、広島市民球場は写されています。球場わきの工事現場。57年のシーズンから球場は使用されていたようですが、外壁などはまだ完成していない様子も窺えます。あるいは、市街の別の場所で撮影された数枚には、遠景に球場の照明が覗いています。『HIROSHIMA 1958』という写真=出来事がいざなう1958年の記憶と2008年の想起──その半世紀の懸隔の間に、広島市民球場の50余年の歴史はあった、とも言えるでしょうか。

2009年3月22日日曜日

『エル・スール』上映中@広島

広島の映画館、サロンシネマ2にて、ビクトル・エリセ監督作品『エル・スール』の上映が始まっております。1週間の限定上映です。お近くの方はぜひお見逃し無く。会場にて、小社刊行の原作小説、アデライダ・ガルシア=モラレス著『エル・スール』も販売しております。鑑賞のお供にどうぞ。

2009年3月19日木曜日

『小島一郎写真集成』評@『アサヒカメラ』

本日発売の『アサヒカメラ』2009年4月号(最新号)掲載の座談会「今日の写真2009」(レギュラー=ホンマタカシ・倉石信乃、ゲスト=松井みどり)で、『小島一郎写真集成』が言及されています。話柄に上っている「ローカルカラー」をめぐってはこちらを参照されたし。



追記。といってもぜんぜん関係ないのですが、『美術手帖』最新4月号が篠山紀信特集で、美術批評家の椹木野衣氏が篠山論を寄稿しています。写真に興味を持てなくなったと数年前に発言した(『pg press』no.1所収の座談)椹木氏としては本稿はおそらく久方ぶりの「写真論」だと思いますが、その論中で『決闘写真論』の中平卓馬が論及されています。興味深く思えるのは、椹木・中平の両者ともに、「写真論」なるものの自明性が所与のものではなくなった(と自覚された)時点で、なおかつ、その困難さの直中で写真を論じようとするとき、篠山が登場しているということ(むろん椹木氏はその反復にはきわめて自覚的ですが)。これは何の徴候か。いろいろ引用している時間はないので、以上、とりあえずメモとして。本件は、「アイドル!」展キュレーターにして『反写真論』著者の倉石氏に見解を聞いてみたいところですね。あと、朝日新聞出版は『決闘写真論』を復刊すれば良い。ついでに、オシリスは『反写真論』を復刊すれば良い。追記のほうが長いのは気のせい。

『HIROSHIMA 1958』書評@「図書新聞」(武田潔さん)

「図書新聞」2009年3月28日号(第2991号)に、エマニュエル・リヴァ写真集『HIROSHIMA 1958』の書評が掲載されています。最終8面。評者は、早稲田大学教授(映画研究)・武田潔さん。「二十四時間の情事、一週間の猶予、五十年の踏破」という題が付されています。長めの書評(2800字)ですが、一部を引用──

(…)本書の出版に際して広島で催された展覧会では、かつて被写体となった人が幾人も、「これは私です」と名乗り出たという。そこに写っているのは今の自分の姿ではない、にもかかわらず、それもまた間違いなく自分自身だと認めること……そのように長い年月を介して現前する“他者としての自分”を受け入れることこそは、あの映画[=『ヒロシマ・モナムール』]の中でヒロインがなさねばならなかった振舞いにほかならない。(…)ひとりホテルに戻った彼女は、洗面台の鏡に向かい、「私」と「彼女」の二つの人称代名詞が交錯する独白を通して、現在と過去の自分を直視し、苦悶しつつも遂に両者をともに受け入れるのである。そして、その身振りは映画の内にとどまらず、主演女優自身が、久しい時の流れを経て、しかも今度は多くの人々の共感に導かれつつ、現実のものとして体験するところとなった。(…)

これはぜひ全文をお読みいただきたく思います。同号は来週明けに書店店頭に並ぶ予定です。なお1面では、当欄でもご紹介しました『小海永二翻訳撰集』をめぐって、梅本洋一さんが文を寄せられています。

2009年3月18日水曜日

『アフンルパル通信』第7号


札幌の古書店「書肆吉成(しょし・よしなり)が発行している小冊子、『アフンルパル通信』。2つ目の「ル」は小文字なのですが、その第7号が刊行されました。関口涼子さんが小社刊『灰と土』(アティーク・ラヒーミー著)の翻訳をめぐってエセー「舌の下でゆっくりと溶けていく言葉」を寄せられています。こちらのご指摘をうけての、ひとつの翻訳論。ほかに、管啓次郎さんによる詩(!)なども掲載。表紙の写真は大友真志さん「サハリン」(これすごい。中にももう1点掲載)。A4・縦2ツ折・中綴じ・16頁、年3回発行、税込500円。バックナンバーふくめてこちらからお求めになれます(7号は未掲載【→追記:22日より発売されています】)。「アフンルパル」っていったい何?──そんなことはここではお教えしませんよ。

ついでのようにご案内しておきますと、アフガニスタン出身、フランス在住の作家アティーク・ラヒーミー(Atiq Rahimi)は、Syngué Sabour. Pierre de patience(『忍耐の石』)で2008年のゴンクール賞を受賞しました。現在日本語で読めるのは、上記『灰と土』(原著は1999年刊)だけですが、ゴンクール賞作品もさる出版社から翻訳が刊行予定と仄聞しています。

2009年3月17日火曜日

『小島一郎写真集成』書評@北海道新聞


3月15日(日曜日)付け朝刊の北海道新聞、「ほん」欄にて、『小島一郎写真集成』が取り上げられました。無署名記事。「十九世紀、仏の“農民画家”ミレーの目に映った農村は、このような光景だったかもしれない。一九五八年、津軽地方。洋の東西を問わず、大地に根差して生きる人々の姿は、とても崇高かつ美しい。」『集成』72頁の写真が掲載されています。

2009年3月16日月曜日

森山大道/井上青龍/小島一郎

15日夜のETV特集「犬の記憶──森山大道・写真への旅」、ご覧になりましたでしょうか。

後半で、青森県立美術館「小島一郎──北を撮る」展を訪れる森山さんのシーンがありました。「なんだかんだ、カッコいいよね。貧乏くさくないし。撮っている世界はけっして豊かではないんだけど……」。森山さんが好きだと言われていた、雪上の轍の跡が「アブストラクト」に映っている1枚は、小社刊『小島一郎写真集成』の105ページに掲載しております。

さて、森山さんが大阪時代の若き日々に出会い、一緒に撮影もしていた、井上青龍(いのうえ・せいりゅう、1931-1988)という写真家。井上との付き合いをつうじて「路上を刷り込まれた」と森山さんは述懐されていました。西成・釜ヶ崎の日雇い労働者たちを写したその写真と、小島一郎の津軽・下北の写真とのあいだに、「ヒューマニズム、通り一遍のではなく、自分のからだを濾過して残ったヒューマニズム」をともに感じる、とは森山さんの弁。

この井上青龍と小島一郎はじっさいに邂逅しています。1962年(昭和37年)の「第2回カメラ芸術新人賞」をふたりが受賞しているのです(井上青龍「人間百景・釜ヶ崎」、小島一郎「下北の荒海」)。審査員の重森弘淹は、前者を「本格的なドキュメンツ」、後者を「抒情否定的な映像」と評しています。以下が、『カメラ芸術』1962年2月号の当該記事です。せっかくですのでコピーをスキャンしてみました(クリックすると大きくなります)。




井上の釜ヶ崎での仕事は、撮り始めてから20年以上経った1980年に、写真集『釜ヶ崎』(銀河書房)として纏められます。そのほかの仕事等については、さしあたりこちらをご参照ください。「社会派写真家」とくくれないことはたしかでしょう。井上が亡くなって20余年、東京・表参道のRAT HOLE GALLERYで一昨年の夏に井上と小島の連続展が開催されました。そのさいに作られた写真集『INOUE SEIRYU / KOJIMA ICHIRO』(RAT HOLE、2007年)が、現在新刊として入手可能な井上の(おそらく唯一の)写真集です。それぞれ釜ヶ崎と津軽の写真からセレクトされ、リングバインダーによって綴じられています(こちらから通販可能。ご参考までにこちらも)。48頁、税込2500円。興味をもたれた方はぜひどうぞ。

(なお、先日まで小島一郎ミニフェアが開かれていたブックファースト新宿店の写真集のコーナーにも置いてありました。3月14日の段階では、小島の「限定複製印刷作品」も残っていましたので、東京近辺の方はぜひどうぞ。青森県美のミュージアムショップでは売切れだそうです。)

2009年3月15日日曜日

『国民とは何か』@東京新聞「ロングセラー」


本日(3月15日)付朝刊の東京新聞の読書欄で小社刊『国民とは何か』が取り上げられています。「ロングセラー」というコーナー。記者の方による記事です。短いですので全文引用させていただきますと──

十九世紀初頭に発表されたドイツの哲学者フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」と、同世紀末発表のフランスの思想家ルナンの「国民とは何か」が収録される。西洋近代の国民国家の基盤を明示した二つの講演を再読しながら、鵜飼哲やJ・ロマンらが解説を書く。ナショナリズムと多文化主義という対極的な思想を象徴する講演に、近代国家の特質と限界を読み解き、問い直した本。世界の二極構造が崩れ、国家・民族・宗教などが激しく議論された時期の良質なテキストだ。一九九七年刊、現在六刷。


最新の第6刷は昨年夏の刊行です。書誌情報は以下の通りです。



『国民とは何か』
エルネスト・ルナン、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、エチエンヌ・バリバール、ジョエル・ロマン、鵜飼哲:著
鵜飼哲、大西雅一郎、細見和之、上野成利:訳

「国民人間主義」を超えて

フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」、ルナン「国民とは何か」、二大国民論を清新な翻訳で収録。バリバール、鵜飼哲らの読解を併せて、国民・民族・国家という終わりなき課題に応え、異質なものとの間に頻発するあらゆるリアルな「境界の経験」に再考を迫る、今日もっとも切迫するテクスト。


1997年10月8日初版第1刷発行
現在第6刷

四六判上製316頁
装幀:間村俊一
写真:港千尋
定価:本体3,500円+税
ISBN978-4-900997-01-1

[収録テクスト]
二つの国民概念 ジョエル・ロマン(大西雅一郎訳)
国民とは何か エルネスト・ルナン(鵜飼哲訳)
ドイツ国民に告ぐ ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(細見和之・上野成利訳)
フィヒテと内的境界 エチエンヌ・バリバール(大西雅一郎訳)
「市民キャリバン」あるいはエルネスト・ルナンにおける精神の政治学 鵜飼哲
[解説]国民人間主義のリミット 鵜飼哲
訳者あとがき 細見和之・上野成利・大西雅一郎




ところで、この号の東京新聞の書評欄本欄に目を遣ると、『演劇の一場面』(小島信夫著、水声社)の評者が芳川泰久さん、というのはまぁわかりますが、『バレンボイム音楽論』(D・バレンボイム著、アルテスパブリッシング)を堀江敏幸さんが、『千のムジカ』(平井玄著、青土社)を鈴木泉さんが、という人選にはちょっと意表をつかれました……(東京新聞は書評委員制をとっていません、為念)。こちらに書評本欄のテキストは転載されています。

2009年3月14日土曜日

『淀川長治映画史』@青森県美

今年は淀川長治さんの「生誕百年」でもあるわけで、今後さまざまな企画がきっとあることでしょうが、ふとチェックした青森県立美術館のサイトで、(百年云々とはどこにも銘打っていませんが)上映企画があることに気づきました(「平成21年度 定期映画上映会」)。つづけて、サタジット・レイに、佐藤真。良いんじゃないでしょうか。DVD上映ですが、これぜんぶ無料!

2009年3月13日金曜日

モーツァルト/ハイデガー

当欄でもご案内した大宮勘一郎氏による東京大学でのレクチャー「分身──鏡像と木霊の間」(1月21日)の報告が主催のUTCPのウェブログにupされています(こちら)が、その姉妹編(スピンオフ?)と言えそうなレクチャーが、来週月曜日(3月16日)に新潟大学で開催される模様です(詳細はこちら)。「魔笛の一九世紀──分身論の視座から」。…………モーツァルト??? フライヤーには「W. ベンヤミンの専門家としてつとに著名でありますが、その関心の赴くところはあらゆる思想領域に及んでいます」と紹介されていますので(「つとに著名」?!「あらゆる思想領域」?!)、モーツァルトもアリなんでしょう。このシンポジウム「19世紀の再検討──思想史、メディア論、身体論の立場から」は、橋本一径氏ほかの発表も要注目なのですが、残念ながら私は行けません。お近くにお住まいの方はぜひどうぞ。たぶん公開制でしょう。




さて、『中平卓馬』につづく、「KAWADE道の手帖」は『ハイデガー──生誕120年、危機の時代の思索者』。今週から書店に並んでいます。「生誕120年」を期しての出版のようですが、誕生日は9月です。ちょっと早めのアニヴァーサリーですね。目玉は、「決定版翻訳」と銘打たれたハイデガーの講演録「建てる 住む 思考する」の新訳でしょうか。大宮勘一郎訳。新訳と言っても、昨年11月に『ハイデッガーの建築論』として中村貴志(なかむら・うずし)訳が中央公論美術出版より刊行されたばかりではありますが。中村訳はたいへんリーダブルな訳文で、周到な注釈が付けられていますが、本自体がなんともうしましょうかマニアックな編集/構成になっていますので、少々面喰らいます。今回の大宮訳ヴァージョンが手頃な価格で入手できるようになったことは歓迎すべきでしょう。ほかにも、「道の手帖」には、高田珠樹氏、田崎英明氏へのインタビューのほか、論考が多数収録されています。読んでみまして、書きたいことがあったらまた補足するかもしれません。しないかもしれません。ちなみに、「道の手帖」は『谷川雁』『マルクス『資本論』入門』と続くようです(前者は、日本経済評論社から近刊の『谷川雁セレクション』[岩崎稔・米谷匡史編、全2巻]にあわせての刊行でしょう)。

2009年3月12日木曜日

「その路地を右へ」/「犬の記憶」

先日もお伝えした写真家・森山大道をめぐるドキュメンタリー番組ですが、今晩NHKBSハイビジョンでも放映されます。詳細は以下。タイトルが違いますので、構成も変えているのでしょうか。

「その路地を右へ──森山大道 東京を撮る」
2009年3月12日(木)20時〜21時30分
NHKBShi「ハイビジョン特集」
http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/#housouyotei

「犬の記憶──森山大道・写真への旅」
2009年3月15日(日)22時〜23時30分
NHK教育テレビ「ETV特集」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index2.html

取り急ぎお知らせまで。

【付記(3月13日)】昨夜のハイビジョンでの番組では小島展訪問のシーンはありませんでしたが、確認いたしましたところ、日曜日のETV特集では放映されるそうです。別編集による2番組の由。

2009年3月11日水曜日

木村伊兵衛賞

木村伊兵衛写真賞にエマニュエル・リヴァさん!!!















なんてことはやはりないのでした。「写真家」じゃないですしね。『浅田家』ですか…………。

2009年3月9日月曜日

小島一郎展、終了


昨日(3月8日)をもちまして、青森県立美術館で開催されていた「小島一郎──北を撮る」展は終了いたしました。会期末が近づくにつれ、多くの方が訪れ、会場が賑わいを見せた、との報告を受けております。今回の展覧会は巡回いたしませんが、出品作の多くは同美術館への寄託品ですので、以前にもありましたように(例1例2例3)、「常設展」の一部として展示される機会もいずれあることでしょう。そのさいにはまた告知させていただくことにいたします。常設展示も多彩な企画を展開していますし、美術館の建物自体も不思議な魅力もありますので(設計・青木淳のサイトから)、小島展は終わりましたが、今回いらっしゃれなかった方も、ぜひ機会がありましたら、青森県立美術館をお訪ねになってみてはいかがでしょうか。

小社刊『小島一郎写真集成』は引き続き、(青森県美ミュージアムショップはもちろん)全国の書店さんにて販売しております。ぜひお求め下さい。

2009年3月8日日曜日

『エル・スール』広島&大阪上映決定

ビクトル・エリセ監督作品『エル・スール』(1983年)が、東京・仙台にひきつづき、広島と大阪で上映されます。ニュープリント。

広島は、サロンシネマ2にて。3月21日(土)〜27日(金)。初日を除き、午前中の1日1回上映。詳細はこちら

大阪は、梅田ガーデンシネマにて、4月4日(土)〜17日(金)。『ミツバチのささやき』(1973年)と併映で、こちらは3月28日(土)〜4月17日(金)。詳細はこちら

さらに、先日お伝えしましたように、山口情報芸術センターにて、4月24日(金)〜26日(日)に上映。詳細はこちら

以上、取り急ぎ速報。アデライダ・ガルシア=モラレス『エル・スール』、好評発売中。

2009年3月6日金曜日

ミレー茶話

先日当欄でもご紹介した読売新聞の前田恭二さんは、photographers' galleryのウェブサイトのコラム「papery」に寄稿されています。3月5日付けの最新記事が、「ミレー茶話」と題され、小島展のご感想をきっかけにして、絵画/写真における田園・農村モチーフがはらむ諸問題を指摘されています。ご一読ください。

『HIROSHIMA 1958』@『考える人』メルマガ


季刊誌『考える人』(新潮社)のメールマガジン最新号にて、エマニュエル・リヴァ写真集『HIROSHIMA 1958』が取り上げられています。「考える本棚」というコーナーで、同誌編集部による記事。こちらに転載されています。メルマガの登録はこちらからどうぞ。

2009年3月5日木曜日

『HIROSHIMA 1958』第2刷出来!

昨年11月に刊行いたしました写真集『HIROSHIMA 1958』の第2刷が本日出来上がりました。



あらためて書誌情報などをこちらに掲載いたします。



『HIROSHIMA 1958』
港千尋+マリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル:編
エマニュエル・リヴァ:写真

夏の笑顔によみがえる、未来

1958年。高度成長期前夜、復興なった広島の街と人々の生活を見事にとらえたフランス人女優がいた──。被写体と写真家のみずみずしいまなざしが刻まれた比類なき作品が呼びさます、50年後の記憶。


アラン・レネ/マルグリット・デュラスの名作『ヒロシマ・モナムール』(邦題『二十四時間の情事』)。その主演女優エマニュエル・リヴァがロケ中に撮った写真がパリで発見された。1958年の広島。真新しい市民球場と太田川河畔の風景、無心に遊ぶ子供たち、密集するバラック、商店街の活気溢れる様子……。当時の広島をとらえた貴重な写真に加え、映画製作をめぐるレネからデュラスへの手紙、リヴァへのインタビュー、港千尋のエッセイ他、貴重な資料図版50余枚を収録。広島を舞台に、日本とフランスの視線が交錯する、歴史的にも映画史的にも価値の高い写真集。

2008年11月22日:初版第1刷 2009年3月5日:初版第2刷

A4変型判・128頁
写真:ダブルトーン47点/その他写真・資料図版:56点
装幀:間村俊一
定価:本体3,500円+税
ISBN978-4-900997-22-6




[収録テクスト]

*港千尋「まなざしを贈る」
*アラン・レネ「マルグリット・デュラスへの手紙」
*エマニュエル・リヴァ インタビュー「ヒロシマ、もうひとつの私の岸辺」(聞き手:ドミニク・ノゲーズ、マリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル、港千尋)
*ドミニク・ノゲーズ「『ヒロシマ・モナムール』の青春」
*マリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル「シルヴェット・ボドロー、類いまれなスクリプター」
*『ヒロシマ・モナムール』フィルモグラフィ
*HIROSHIMA 1958撮影地一覧
*港千尋「イメージの奇跡──刊行に寄せて」

翻訳(原文フランス語のテクスト)=関口涼子



第2刷刊行にあたり、テクスト部分を修正している箇所が若干ございます。内容に関わるものといたしましては、

本書109頁右段上から4行目
「撮影現場の写真」→「作品のスティル写真」


『ヒロシマ・モナムール』のスクリプター、シルヴェット・ボドローさんの仕事をめぐる、ナヴァセルさんのテキスト内での一節です。ボドローさんは同作品の現場の記録写真を撮っていただけでなく、宣伝ポスターなどに使われたスティル写真も彼女が撮影したものだった、ということです。お詫びしてここに訂正いたします。第1刷をお持ちの方々のために、以上お知らせ申し上げます。



本書の6頁目には、フランス語の原著のクレジットが入っておりますが、この原著は未刊。すこし延期されて、今月末には刊行されるようです。ガリマール社から、Tu n'as rien vu à Hiroshima(君はヒロシマで何も見なかった)というタイトル。『ヒロシマ・モナムール』の最初の台詞ですね。版元のページはこちら。届きましたら、またご紹介いたします。

『小島一郎写真集成』紹介@東京新聞


2009年3月1日(日曜日)朝刊の東京新聞・読書面にて、『小島一郎写真集成』が紹介されました。無署名原稿。「リアリズムと造形美の間で悩み鍛えられたハードトーンの作品は、北国の厳しい風土や人々の暮らし、奥深い民俗や清冽な自然を、印象深くとらえている。光と影の神秘的造形を味わえる。」お知らせまで。

2009年3月3日火曜日

森山大道、小島一郎に「擦過」!

http://www.aomori-museum.jp/ja/blog/725.html

青森県美のウェブログから。放映はすこし先ですが、取り急ぎ、速報。

Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」「こんな商品もチェックしています」には森山さんの写真集が並んでいます。調べたかぎりでは森山さんが小島のことを活字で言及されたことはないと思うのですが、ある種の「作風」というか「世界」に通じ合うところが、あるいは「擦過」するところがあるのでしょう。

小島展トーク採録

「小島一郎」展の初日に青森県立美術館にて行われたトークの採録が同館のウェブサイトに掲載されています(PDFファイル)。「議事録」ってなんだかすごいですが、ほぼ完全採録です。取り急ぎ、速報。

『小島一郎写真集成』@Amazon【続報】

「在庫あり。」になりました。こちらからご注文いただけます。取り急ぎ、速報。

2009年3月2日月曜日

小島展紹介@読売新聞

本日(2009年3月2日)付朝刊の読売新聞、文化面で「小島一郎──北を撮る」展が紹介されています。前田恭二記者による記事。「中央との関係も含め、戦前・戦後にわたる写真史の地層を掘り下げながら、生の軌跡を位置づけた出色の回顧展と言ってよいだろう」。本記事の見出しは、「語り出した「北の写真」」となっており、小島と並べて、田本研造の再評価・再検討の機運を紹介しています。


【以下、3月3日に大幅に付記】

田本研造と言ってお分かりになりますでしょうか。いわゆる「北海道開拓写真」として今日知られる一連の写真群を撮った写真師たちのうちでも傑出した存在です。明治初期、国家プロジェクトとして大々的に挙行された北海道開拓事業に随行して、その土木風景を数多く写真に収めました。その事績については、ウェブ上でも紹介があったりしますので、省略しますが、ここで言及したいのは、その再発見/再評価の件。田本の写真群が「日本写真史」の一コマとして登録されたのは、1960年代末、撮影されてから1世紀弱たった後のことでした。そのきっかけとなったのは、日本写真家協会が1968年に開催した「写真100年──日本人による写真表現の歴史」展。「日本写真史」なるものを初めて立ち上げることとなったその展覧会準備のなかで、(再)発見されました。その展覧会を集成した写真集図録の編集を担当したのが多木浩二や中平卓馬らでした(『日本写真史1840-1945』平凡社、1972年。現在絶版ですが、古本での入手は難しくありません)。中平は、同展をめぐって書かれたレビューで、この田本や、長崎の原爆後の光景を撮った山端庸介の写真に触れて、こう記しています。

山端庸介は偶然世界を記録した。だがぼくたちの戦後の写真家はそれを意識化し、方法化することから出発しなければならないだろう。なぜなら〈記録〉はまず第一に方法であり、精神のあり方であるからだ。そしてまた〈記録〉の精神はその冷ややかさにおいてどこか一点〈抵抗〉の精神につながるはずである。
(中平卓馬「写真にとって表現とは何か」、『見続ける涯に火が…』、オシリス、2007年、33頁。初出=1968年7月)


写真とは表現ではなく記録、ドキュメントである、という中平の写真論において特権的な参照項であったわけです(そのコンテクストなどについては、先日ご紹介した『中平卓馬──来たるべき写真家(KAWADE道の手帖)』(河出書房新社、2009年)に収録されている、小原真史さんの論考や、倉石信乃・八角聡仁両氏の対談をご参照。とくに小原論考は中平の評価にたいして留保を付けている点で要注目)。田本らの「北海道開拓写真」はその後、

*『北海道開拓写真史──記録の原点(ニコンサロンブックス6)』、ニッコールクラブ、1980年。非売品。
*『北海道写真史 幕末・明治』渋谷四郎編著、平凡社、1983年。品切。
*『田本研造と明治の写真家たち(日本の写真家2)』、岩波書店、1999年。品切。

などで紹介されてきましたが、いずれも現在品切(古本では比較的簡単に入手可)。またその仕事の全貌を網羅的に掲載したものではありません。田本の写真は、北海道大学附属図書館北方資料室や函館市中央図書館などに所蔵されているのですが、なかなか一般に目にする機会もありません。そのなかで、上記の読売新聞の記事にあるように、現在「二つの動き」がある由。ウェブでも転載されていないようなので、ここで記事を引用します。

アルバム「田本写真帳」を所蔵する同市[=函館市]中央図書館は先月、ホームページでデジタル画像の公開を始めた(http://archives.c.fun.ac.jp/TamotoAlbum/)。古地図など多様な所蔵資料を対象に、地元の大学と研究・試行してきたデータベース化の一環。(……)
東京・新宿で写真家たちが自主運営するフォトグラファーズ・ギャラリーも毎年刊行する雑誌「press」[=『photographers' gallery press』]第8号で田本を特集する。同図書館を含む所蔵先の約400点を収録し、写真の記録性が論じられた60年代末の動向の再検証といった多数の寄稿とともに、5月の刊行を予定している。

瞠目すべき動向でしょう。単に田本の写真をたくさん見られる機会が生まれる、というだけのことではありません。煎じ詰めて言えば、「日本・近代・写真」のエッジを問う写真群がいま唐突に私たちの前に投げ出されるわけです。1968年の時点で中平らが感銘とともに受け止めた写真群が、さらに40余年後、再検証に付される。それは中平らの視線を問い返すことにもつらなるはずです。上記の小原論考が論及していたように、国家事業の写真群を「記録」と言い、範例的に扱ってしまうことの、危うさをも再審するでしょう。田本の写真は(私も札幌や函館で実見しましたが)たしかに素晴らしい。「作家性」すら感じさせます。しかし、そのエステティックな称揚に擦過傷を生むような、厄介なジオポリティックスをも孕んでいることは看過できないはずです。──「日本・近代・写真」の傷?

この田本の写真群が到来すること自体が、「冷ややかな」「〈抵抗〉の精神」であるのかもしれません。ニーチェ的な意味で、インアクチュアルな、反時代的な試行。あるいは写真とは、つねに/すでに、かかるポテンシャリティを伏蔵させているのでしょう。それに私たちは不意撃ちを喰らう。

【さらに付記。3月4日】

やや傍系(暴投?……というか、小島一郎はどこ行った?)ではありましょうが、ありうべき論点を2点、思いつきとして挙げておきます。だれかやってください。
1)「アメリカ開拓写真」とその再コンテクスト化(RSPが念頭にあります)を問い直すこと。
2)多木浩二という人の写真界におけるオーガナイザーとしてのプレゼンスを再検証すること。くわえて、建築界においても。

『みすず』3月号表紙は小島一郎

1・2月合併号に引き続き、『みすず』2009年3月号の表紙の写真も小島一郎です。小社刊『小島一郎写真集成』からの1枚です。



4月号〜6月号はまた別の写真家の作品になります。さてどなたでしょう?

2009年3月1日日曜日

大島洋『写真幻論』より



引用、やや長めに──

(……)
 一九六一年、彼は津軽から突如上京する。そしておそらくただ一度、東京の風景を撮った。それは『カメラ毎日』に発表されたのであるが、私が小島一郎の名前をたぶんこれからも忘れることができなくなったのはこの写真のためである。彼の撮った東京の風景、それはビルや工場が沢山建ち並んだ風景で、その建物の上方にはやはり鈍く光る太陽があった。
 小島が撮った東京の太陽、それを私はいつの頃からか朝日であると思いきめていた。あの風景は北から東北本線や常磐線の夜行列車で運ばれてきた乗客が、明け方、一晩中身を折りまげて寝た気怠さと、弁当の空箱や床に敷かれた新聞紙などでどこか殺伐とした車窓からみる、東京の最初の風景なのだった。
 それは私が見た最初の東京の風景でもあった。その日は快晴で、朝五時頃、やはり鈍く光る太陽が工場や荒川や民家の上にあった。
 ローザマネキン、大沢工場、サロン少女林、田中製本、アパート、アパート、丸里外科、ホテルニューリード、旅荘水月、山田医院、アパート、アパート、アパート、大宗家具センター、デルタ、そして団地の窓、さらにアパートの窓、一軒家の窓。一軒残らずバラックの家並。窓ガラスは全部閉じられて、カーテンの所で視界は遮られる。その中にひとつひとつの愛ある生活がくりひろげられている。これが私の東京の第一景だった。
 小島一郎の撮った東京の風景は、やっぱり暗く寒々として、津軽の風景のようであった。しかしそれは、いうまでもなく津軽の風景ではない。彼は津軽でも東京でもない場所をあの夜行列車の夜明けの車窓に見たのではなかったのだろうか。東京と故郷との時空の結合をこばむ鋭角な谷間、辺境へと自らの眼を向けていったのではなかったのか。彼の写真にみる、津軽の過酷な風景にではなく、車窓をフレームにしたガラス越しの夜明けの東京の第一景に辺境を見たのではなかったのかと思う。
 上京の後も、津軽や下北、さらに北海道を撮ることの方がほとんどであった彼は、その行き帰りに何度となくガラス越しにこの風景をみていたのだろう。その頃から彼は自分自身の内部へと向って、歩行を急速に早めていったように思う。
 私は先日、ほとんど十五年ぶりで小島一郎の写真をみた。そこでひとつ、長い間かってに思い込んでいた大きな勘違いを発見した。小島が撮った東京の風景の太陽は朝日ではなかったのだ。夕日である。その上題名までがなんと「東京の夕日」となっていた。しかし写真は、どの写真も記憶していたイメージのままであり、彼はやはりあの夜明けの風景を頭に描いていたのではないかと思っていることに、今でも変りない。
(……)

(大島洋「小島一郎の風景」、『写真幻論』、晶文社、1989年、230-231頁。初出=『写真試論』1979年5月)


歿後15年、小島一郎の名が写真界から忘れられていた時期に書かれた、エッセイ。



それから30年後。青森県立美術館にて「小島一郎──北を撮る」展が開催。終了まであと1週間です。